対面授業

数か月ぶりの大学の対面授業に朝から緊張していた。4月中旬の朝、岐阜県の大学2年の男子学生(19)は講義室に入った途端、周囲の楽しそうな声に呼吸が苦しくなった。翌日以降、通学できなくなった。

オンライン慣れ「対面授業怖い」、不調の訴え増加…[コロナ警告]ゆらぐ対人関係

対面授業では基本的に最前列に座るようにしている。それは待望の対面での講義を意欲的に聴きたいからでもあるし、周囲の楽しそうな様子を目にすると苦しくなるからでもある。模範っぽい学生として自分を位置づけることで対処すべき問題から目を背けているのかもしれない。先日読売新聞オンラインで公開されたこの記事を読んで涙が止まらなかった。偶然通学し続けることができているだけ。教室が学生で埋まる前に着席することに長けている。授業と課題に熱中できるほど他にすることがなかった。

これは無責任な言葉だし勝手に感情移入しているだけなんだけど、通学できなくなってしまった彼が少しでもキャンパスで授業を受けることができたら、僕は嬉しい。

対面授業後に先生へ質問をしに行くことがしばしばある。90分間の講義を通して考えたことや浮かび上がった疑問を直接尋ねることができるのは貴重な時間だし、なにより人と話すことができるのは楽しい(これもかなり貴重な経験)。昨年の秋学期に履修した講義を担当していた先生が好きになって、今期もその先生の講義を履修している。この講義ではほぼ毎週質問をしたり雑談をしたりしているのだけれど、先週サービスの受け手としての学生という立場を濫用しているのかもしれないと頭をよぎって身動きがとれなくなった。とはいえ僕はフットワークが軽いし明るい性格をしているのでのでかまわず毎週先生とお喋りをしているし楽しいからもうそれでいいのかもしれない。

1年生の春に履修していた映画の授業の先生にキャンパスでばったり会った。当時ZOOMでやり取りをしていた僕のことを先生は覚えていてくれて、「あぁ君はコロナ直撃世代ですもんね」と言った。そうです私はコロナ直撃世代です。気持ちよく外出できるようになってきたのに、なんだか就職のことを考えるノリになってきている。僕と同じ直撃世代の方はどうやって折り合いをつけているんですか。そもそも直撃世代なんてないのかもしれません。

ブログを開設した当初は自分の好きなモノを体験と絡めて語るウォッシュされたZINEみたいなことがしたかったのだけれど、続けていくうちにそんな無菌化したブログは書いていてつまらないし、読んでいても面白くないだろうと思って適当な雑記や日記にも手を出すようになった。正直自分のことを赤裸々につづればつづるほど楽しいエントリーになる。俺はお気持ち表明を心から歓迎する。

ブログで知り合った方とTwitterでやり取りをする機会があった。大学生だった当時のことを思い出すという言葉をもらった。大学生らしさに囚われている自意識や少しでも大人びた態度をとりたいという浅はかな気持ちはどうしたってにじみ出てしまうようです。まだ対面授業とかで足踏みしているフェイズから抜け出せておらず、当面のところ自意識とうまくやりとりをするほかなさそう。


石田光規教授は「(孤独を感じると回答した)若い人の割合が高いのは剥奪感が大きいからだ」と指摘する。若者はコロナ禍で勉強や恋愛などの自由を奪われたとの意識が強かったとされる。

オンライン慣れ「対面授業怖い」、不調の訴え増加…[コロナ警告]ゆらぐ対人関係

たしかに剥奪感が大きいからかもしれない。自由を奪われた意識も強いだろう。それはそうとして、いまの生活のことやこれからの生活とそれにかかわることに目を配って、楽しげにやりくりしていったほうが愉快になれるような感じがある。たとえば対面授業など。