延長線上にいる

2020年の延長線上に生きているという感覚がある。過去の自分を思い起こすときそれは2019年以前で、たった今の自分は2020年とシームレスに繋がっているよなとマルチメディア論の課題を提出して晩御飯に取り掛かる前に考えていた。順当に年を重ねたらこのような感覚に陥るものなのかもしれないし、大学進学とコロナ禍を同時に体験したから味わっているものなのかもしれない。剥奪感を押し付けたいので後者として捉えている。その年を象徴するような出来事が少ない、というかあまり思い当たるものがなく、授業もアルバイトも気晴らしもすべてスマートフォンタブレット端末で体験してきた数年間だったので、体験とか記憶が身体と結びついていない。可能であれば同世代の人とこの感覚を共有したいのだけれど、現実的にむずかしい。どうやって乗りこなしているのでしょうか。

昨晩に遭遇したゴキブリを逃してから視界に映る影がすべてそれに見えている。向こう数週間はこの状態と対峙しなければならない。キッチンに潜むゴキブリを退治するために、ドラッグストアで買ってきたアース製薬のアースレッドプロを焚いたんだけど、ひとつも死骸がなかった。これっていちばん怖くないですか? 下宿先のキッチン周りにはコミュニティが形成されていないという良いニュースと、外から好き勝手出入りすることができる隙間があるという悪いニュースがある。この夏は害虫対策や駆除のためにかなりお金を使っていて馬鹿らしくなるのだけれど、素手で退治できないのでやむを得ない。8月から使えるクーポンをもらったので、生活用品や賞味期限が迫った菓子パンを買いに出かけたい。来月が8月なわけないのに。

夕飯は味の素のレシピ大百科のレシピを参考にして「なすとピーマンの肉みそ炒め」を作って食べた。普段ひき肉を買わないのだけれどどうしてもピーマンの肉詰めが食べたくて作ったときの残りがあってそのひき肉をなんとかしたかった。食品メーカーが運営しているレシピサイトで、レシピに自社製品の名称が記載されているのを見ると、茶目っ気があっていいなと思う。こういった企業が運営するコンテンツは広告として機能することを目指しているのだろうけれど、実際に購買行動に繋がっているのかどうかはオンラインショップへのリンクがない限り分からないと思う。しかしこのようなサイトにレシピを掲載することが結果として自社製品が購入されるだろうという確信・算段・幻想のおかげで、僕は手軽でおいしい「なすとピーマンの肉みそ炒め」を食べることができている。こういった幻想のおかげで成立しているコンテンツがいくつもあってそれを見るたびに変な感覚になる。

昨年にリリースされたNOT WONKの『dimen』を改めてよく聴いている。2021年はろくに歌詞を読まないで聴いていたのだけれど、きちんと歌詞を読んでみると、このごろ僕が考えていたことや感じていたことが表現されていて驚いた。「All men are mortal」だし、「get off the car」だし、「When I call your name, you know your own name」ということです。いま自分が抱いている(社会の延長線上にある)問題意識と読書を通して向き合うのはもちろん、自分の人とのかかわりのなかで実践していきたい。まずは人と関わるところから始める必要があるのだけれど。たとえば友だちをつくることなど。2021年を象徴するようなアルバムだったのだけれど、2022年を象徴するアルバムにもなるかもしれなくて、やはりそういった意味でも延長線上にいることになってしまう。