Summer Reading 2022

サマーリーディング、ってのはその名の通り、夏に本を読もうっていう習慣だ(休みも長いしね)

『POPEYE(ポパイ) 2020年 8月号 [ポパイの読書案内。]』 — ポパイ編集部 編 — マガジンハウスの本

2020年8月号の特集で「サマーリーディング」という取り組みについて知った。夏は読書をするもの。通年読んでいてもいい。たしかに長期休暇ですることといえば本を読むくらいですよね。

これは大学3年生の夏休みに読んだ本の記録です。

本は読めないものだから心配するな

菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』筑摩書房

本はつねに流れの中にあり、すべての本はこの机に一時停滞するにすぎず、何らかの痕跡を残して、必ず去ってゆく。

本を読もうという意気込んでいる者にとって、これほど勇気づけられるタイトルはないだろうと手に取った。読書論から旅行記批評、翻訳論や日記へととりとめもなく流れるような文章は、流動的な本の存在(「冊」という単位はないし、風をあてて新たな回転を与えてやる必要のある風ぐるまとしての本)と文脈に囚われないテキストの独立性を主張しているように感じられた。そういえばBlack Country, New Roadのタイラー・ハイドが「アルバムは、聴く人それぞれが好きなように、自分自身のために聴いて欲しい」と語っていた*1。「日記では、時間軸上に展開するすべてを、『日付』が正当化する』という文章も印象的だった。日記を書くとき、時間がリニアに流れていることが念頭に置かれていて、それ以外は何をしても良い。それさえ守れていればどんな文章も日記にカテゴライズされるのかも。あと、本の固着・フェティッシュ化・聖典化は退行で、文の追求とは無関係の心理的動機が働いていると書いてあって面白かった。8月1日。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店

多くの人びとが、子どものケアのような有用でありかつ重要な仕事をやるか(他人を助けることで得られる満足感それ自体が見返りであり、それ以上の報酬は期待すべきでないと説教されつつ)、あるいは無意味であり自尊心を傷つけられる仕事を受け入れるか(原因はなんであれ心身ともに破壊するような労働に就かないような人間は生きるに値しないという浸透した感覚以外に特に理由もなく、心身を破壊されつつ)、選択を迫られている。

発売当時、岩波書店のTwitterがかなり盛り上がっていて、なんかすごい本が発売したぞ……!と雰囲気が漂っていたのを記憶している。数年越しに読めました。労働者がなんとなく抱いていた(しかし明らかに存在していた)どうしようもないほど無意味で不必要で有害な仕事を「ブルシット・ジョブ」と言語化し、その定義や特徴を豊かな事例を交えながら歯切れのいい・ユーモラスな語りで紹介されていて、めちゃくちゃ面白かった! しかし一方で、被雇用者としての経験がなく自分の体験をもとに「ブルシット・ジョブ」を理解できなかったので悔しくもある。男性の仕事が狩猟だったのはストーリーの語れる刺激的な劇的な仕事を独占しようとしたからだとか、男性は女性が自然におこなっている生産を自分たちは社会的・文化的に行っていると考えたがるだとか、『99%のためのフェミニズム宣言』や『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』と同様に、資本主義に根差したジェンダーの問題に触れられていたのが印象的だった。アメリカの宗教背景からなる労働観だとか、第7章の政治と絡めるくだりが分からなかったところもあるので、以後勉強したい。また訳者による親書や千葉雅也と大澤真幸の対談本?もあるみたいなので読んでみたい。そういえばゼミの人と本書で読書会するのうやむやになってしまったな。8月6日。

改訂版 確実内定

トイアンナ『改訂版 確実内定 就職活動が面白いほどうまくいく』KADOKAWA

正式に就活がスタートする就活解禁まで何もせずにいるのは、損でしかないということを肝に銘じ、確実な内定のためにも、「今日が残された学生生活で就活に着手できる最速の日」と考え、すぐに動き始めましょう。

了解です。8月7日。

クリティカル・ワード ファッションスタディーズ

蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵 編著『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係』フィルムアート社

現実の身体を抱えながら衣服を選び取ることは、大なり小なり、生きる尊厳なのである。

ファッションに関心があるので発売してすぐに買ったはいいものの、読書に興味がないので積まれていた。「クリティカル・ワード」シリーズを手に取るのはこれが初めて。ファッション・スタディーズの理論や具体的なトピック、関連する分野が網羅的に紹介されていて読みやすかった。大量消費・大量消費社会と接続する産業としてのファッションやメディアとの相互作用(ロラン・バルトは『モードの体系』で服そのものよりもファッション誌のほうが流行の生成に決定的な役割を果たすことを示していたらしい)、ジェンダー記号として機能するファッション(新たな束縛を生みかねない「ボディ・ポジティブ」や、女性の抑圧に加担する一方でマイノリティ女性が不利益から逃れる役割を果たす女性の記号としてのパンプスとか)あたりに自分が関心を抱いていることが分かった。入門書を称しているだけあって、基礎的な理論的枠組みや概念が丁寧に紹介され、参考文献が親切に列挙されていたのでうれしかった。何度も取り上げられていて、以前から購入したいと思っていた(ピンクのカバーだったから)ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を大学生協で買った(冷房の効いたキャンパスで読んでいた)。

引用したのは、第3章に収録された村上由鶴による「身体論」の一節。病によって自身の肉体を労わる・愛することを放棄した患者を描いた、アーサー・W. フランクによる『傷ついた物語の語り手』から、われわれの身体がファッションを、装いを取り戻そうとする営みはまさしく自己愛であると導いていた。それまで淡々と重要用語や文脈、参考文献を並べる(とても面白いです)テキストばかりだったのに、突然熱い血の通った文章を読んで惹きつけられた。はてなブログをやっていたのですかさず読者登録をした。8月8日。

20世紀ファッション 時代をつくった10人

成実弘至『20世紀ファッション 時代をつくった10人』河出書房新社

ミニスカートは消費社会を身体化することで、女性たちにそれまでの社会秩序に対峙する主体化をもたらした。それによって服装は自分が所属する階級や社会集団ではなく、世代や自己のアイデンティティを表現するものへと変化した。しかし結局のところ、それは自らの身体を消費社会の論理の中に組み込むことにほかならなかった。

引き続きファッションに関わる書籍を読んだ。20世紀のファッションのパイオニアとして、ハイファッションを近代化したチャールズ・ワースとおなじみジーンズを作業着として生産・販売したリーバイ・ストラウスを並べて本書の幕を開けており、おもしろかった。ちなみにリーバイスにはあまり言及していない。特に惹かれたのは、ミニスカート・ブームの立役者であるマリー・クワントを紹介した第7章。ミニスカートが起こしたのは、覆うためではなく皮膚の延長としての衣服を提示したという革命で、それをマクルーハンの身体の拡張としてのメディアと絡めながら、メディアとしてのミニスカートが新しい価値観や身体技法をもたらしたと言っている。しかしながら、そのような解放やカウンターもひとつの記号として消費されることも同時に示している。ここでもボートリヤールの『消費社会の神話と構造』を言及しているので、タイミングを見つけて読みたい。8月12日。

チェンソーマン

藤本タツキ『チェンソーマン』集英社

帰省前夜まったく寝付けなかったので、マットレスの上で一気読みした。楽しく読めた。現在少年ジャンプ+で連載している『チェンソーマン』に追いつけていい感じ。この作品を読むとことあるごとに「○○の悪魔」って言ってしまいそうになりますね。何度もこらえています。この翌日から実家へ帰っている兼ね合いで、kindleばかり読むことになる。8月13日。

水は海に向かって流れる

田島列島『水は海に向かって流れる』講談社

たしかBRUTUSの特別編集『マンガが好きで好きで好きでたまらない』を立ち読みして知った作品。すごく好きだった。作中で描かれているのはかなり込み合った関係なのに、さらりとした絵のタッチやユーモラス(すぎる)掛け合いで過度にむずむずすることなく読めてしまった。あと、シェアハウスというかああいう共同体に属すのって憧れますよね。最終話の「#24 海に向かって流れていく」が愛おしかった~。ラストで鳥肌が立ちました。うわ~~~って感じだ。8月15日。

子供はわかってあげない

田島列島『子供はわかってあげない』講談社

『水は海に向かって流れる』がとても気に入ったので過去の作品も手に取った。扱っているテーマが新興宗教やら超能力やらでカロリー高そうなのに、終始のんびりしていてかっこいい。サクタさんのお母さんの言い回しがよかった。電車に乗りながら読んでいたのだけれど多分酔った。きもちわり~と思いながら写真を撮った。これまで乗り物酔い知らずだったのに悔しい。8月18日。

〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち

『現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち』青土社

初めての現代思想は恋愛特集。数か月前に購入して、少しずつ読み進めていたので、最初に読んだものはぼんやりとしか覚えていない……。が、どれも楽しかった(いまハイライトを見返しました)。印象的だったものをいくつか挙げていきたい。

島袋海理『恋愛からの疎外、恋愛への疎外――同性愛者の問題経験にみるもう一つの生きづらさ 』では、異性愛社会における同性愛者の抱える生きづらさではなく、同性愛社会における同性愛者の感じる疎外にフォーカスしていた。同性愛者は、異性愛を前提とした社会の規範と同性愛を前提とした社会の規範に板ばさみにされている状態にあることを示していた。筆者が指摘するように、異性愛と比較したうえでの同性愛の恋愛の問題点や困難に目を向けるだけではなく、同性愛社会固有の生きづらさも語られやすい社会になるといいと感じた。

清田隆之『もう誰かと恋愛することはないと思うけれど――〝恋愛以外〟のことで考えてみる「恋愛とは何か」問題 』で提示された、「センチメンタル無反省」という失恋した男性特有の感傷がおもしろかった。これは、別れることになった原因や背景といった現実を直視せず、「見たいものだけで構成された甘美なイメージ(過去の恋愛を人生のハイライトのように語ったり、別れたあとにポエムを送ったりするなど)」に閉じこもる態度を指すという。僕はセンチメンタル無反省をやってしまうと思います......。

木村絵里子『一九八〇年代、『non-no』の恋愛文化――現在を対象化するために 』では、女性誌の語りから、1980年代以降、恋愛が恋愛として自己目的化され消費される対象になったことを明らかにしている。日本のデート文化の変遷についてもっと知りたいと思った。

田島悠来『恋愛を「みせる」こと――恋愛リアリティショーにおけるカップル主義のゆくえ』では、恋愛リアリティショーからソーシャルメディアに親しんだZ世代の「みせる」恋愛行動を解釈している。ここでは出演者に着目しているけれど、実際に自分と同世代一般人?も自らの恋愛に他者のまなざしを内面化しているような気がしている。このようなリレーションシップがメディアの表象によって強化されているのは否定できないと思う。8月20日。

映像研には手を出すな!

大童澄瞳『映像研には手を出すな!』小学館

第6巻と第7巻を読んだ。第46話「伝わりやすく」の、桜田セキに過去作の問題点を指摘された浅草みどりが、部室を飛び出して自身と対話をする場面(自身の考案したキャラクター・クードナに語りかけたり、「ポケットの中に」を口ずさみながら森を歩いたりしている)と、第47話「ちゃんと相談しろ」ラストで視聴者の存在に自覚的になり、人間との対話のツールとしてのアニメに期待を寄せて「ワシはこれからどこへ行くのか。これから何を見るのか。」とつぶやく場面と、第48話「ライバル」で、ライバルがいることを明確に意識した水崎ツバメが「どっかの誰かに!! 私がここにいると、知らせてやる!」と決意する場面、どれもよかった。第7巻のこの3話はすごかった。創作の経験がないのが悔しくなるほど、創作活動をしている人をかっこいいと思った。8月25日。

人新世の「資本論」

斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社

貧相な生活を耐え忍ぶことを強いる緊縮のシステムは、人工的希少性に依存した資本主義の方である。私たちは、十分に生産していないから貧しいのではなく、資本主義が希少性を本質とするから、貧しいのだ。これが「価値と使用価値の対立」である。

kindle版の表紙は著者が右をちらりとにらんでいるやつじゃないらしい。長いこと積んでいた。「SDGsは『大衆のアヘンである!』と鋭く切り出される本書では、あくまで資本主義を土台として展開されるグリーン・ウォッシュや、外部に責任を転嫁し続ける帝国的生活様式とそれを受容し続ける先進国の人々を批判し、最新のマルクスの研究を引きながら、「ラディカルな潤沢さ」を実現することのできる脱成長コミュニズムを資本主義に対抗する方法として提示している。合ってますか!?地球環境問題を抜本的に解決しつつ、労働を創造的かつ短時間にして、家族と時間を過ごしたり、バスケットボールや水泳に取り組んだり、好きな文章を書いたり、花や野菜を育てたり、ボランティア活動をしたりしたい~~~! ブログにうだうだ書いているだけではなく、実践しないといけない。8月26日。

啓蒙思想2.0〔新版〕

ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0〔新版〕 政治・経済・生活を正気に戻すために』早川書房

私たちがどれほど通であろうと、それでも有害な反応を覆したり、直感的な判断または「勘」を修正したりしなければならず、そのつどの意識的な努力が必要になる。現代の環境をだまされずに乗り切るべく求められる認知の努力の絶対量は、劇的に増えた。

本を読む習慣が途切れ、読み終わるのにかなり時間がかかってしまった。理性は個人の努力によって達成するものではなく、外部環境によって支えられている側面があると取り上げられていて面白かった。紙とペンがないと簡単な計算さえできないし、速すぎるタイムラインは考える時間を与えてくれない。引用したのは第7章「ウイルス社会 心の有害ソフト」からで、消費者の合理性へ訴えかけていた広告が、直感に働きかけるメッセージへと移り変わっていったことが興味深かった。商業主義が認知の低下を招いているという話。商学部に所属しているのもあってけらけら笑いながら読んでいた。9月15日。

人はなぜ物語を求めるのか

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』筑摩書房

できごとの因果関係が納得できるものであるとき、人間はそのできごとを「わかった」と思ってしまうらしいのです。

「僕たち人間は日常、世界をストーリー形式で認知しています」。物事の前後関係に因果関係を見出してしまったり、出来事に原因・目的・意味を探そうとしてしまったり、世界は公正であるべきという考えに囚われていたり、人の認知の偏りについて「ストーリー」という切り口から簡潔に記されていて読みやすかった。特に、前後関係を因果関係として認識・解釈してしまう「前後即因果の誤謬」について知れてよかった。あと唯一コントローラブルなのは「自分の選択」だよねと言っていて、そうですねと思った。9月17日。

乱読のセレンディピティ

外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社

本の読み方も、これまでのような装飾的、宗教的、遊戯的なものを改める。よりよく生きるため、新しいものを生み出す力をつけるために本を読む。有用な知識は学ぶが、見さかいがなくなるようなことを自戒する。著者、作者に対する正当な敬意は当然ながら、とりこになったりするようなことは避ける。

たまに大学構内の一画で不要になったであろう書籍を好きなだけ持ち帰ることのできるイベントが開催されていいて、そのときに拾った本。僕が中学生の頃に発売されていて、『思考の整理学』を読んでいたこともあり当時から存在を知っていた。冒頭で、本は身銭を切って買わないと読まないから、気になった本はじゃんじゃん購入して読んだり読まなかったりしようと書かれていたけれど、そんなお金はないと思う。ある専門領域に固執するのではなく、雑多に読むべしというのは仰る通りだと思った。9月19日。

現場で使える Web編集の教科書

withnews・ノオト・Yahoo!ニュース『現場で使える Web編集の教科書』朝日新聞出版

本書が発売してすぐ古賀及子さんの告知ツイートを目にしてかった記憶がある。2021年7月末に発行していたので長いこと積んでいた。普段よく読んでいるウェブメディアの編集者へのインタビューがおもしろかった。基本的にお金を払うことはなく、つまらないと感じたらすぐブラウザバックするような気まぐれな読者を相手にするインターネット媒体のブランディングは難しいのだろうなと想像した。9月20日。

地図と領土

ミシェル・ウエルベック『地図と領土』筑摩書房

ウエルベックの著作は『闘争領域の拡大』と『プラットフォーム』を読んだことがあったので、これで3作品目。とてもおもしろかった。ちくま Web で公開されている書評*2では、本書を読んだ写真家たちによる展覧会について語られていた興味深かった。9月23日。

ブルシット・ジョブと現代思想

大澤真幸『THINKING「O」第18号 ブルシット・ジョブと現代思想』左右社

資本主義が労働を搾取する、ということは普通に言われてきています。しかし、資本主義による仕事の搾取ということがあるのかもしれません。倒錯性を本性としている仕事が、資本主義の中に組み込まれたとき、きわめて容易にブルシット化する。

資本主義化というものが、ただそれだけで、その内部の仕事の意味を削ぎ落し、仕事を全体としてブルシット化する作用をもつのである。

本来の〈問い〉に遡及し、それに応じて働くことは、すでにそれだけで、資本主義に内側から抵抗することを意味している。

デヴィッド・グレーバーによって提唱された「ブルシット・ジョブ」を主題に、ゲストの千葉雅也との対談や、著者による論文が掲載されている。付録として、本書を読むには欠かせない、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』のほかに、対談で取り上げられる、千葉雅也『勉強の哲学』の要約が載っていて、どちらも読んだことがあったものの、とても便利だった。

大澤真幸による論文『〈クソどうでもいい仕事〉と〈記号〉』では、社会の資本主義化そのものがブルシット・ジョブを生んでいることやブルシット・ジョブに抵抗するヒントとしての芸術的な活動、現代の資本主義に抵抗する手段として〈問う〉こと、さらに正しい〈問い〉を見出すために学問が必要であること、などが述べられていてその展開に感動すら覚えた。おもしろい。ブルシット・ジョブに就いている者は、明白に有用であるエッセンシャル・ワーカーに対して嫉妬や羨望を抱かざるを得ないから、労働に対する対価は小さくても構わないと考えられているという「エッセンシャル・ワーカーの逆説」ていまいちピンとこないですよね、ということも示されていてすごかった。

論文で、募金活動の実験において、金銭的なインセンティブを与えられたグループよりも、無報酬のグループの方が成績がよかった、という事例が紹介されていた。ここから、貨幣的な対価が伴うこと、つまり資本主義が浸透することで、活動がブルシット化すると説明が続く。少なくとも現時点で、僕がこのブログを Google アドセンスやAmazon アソシエイトなどで収益化させていないのは、ここに資本主義を持ち込みたくないからかもと思った。9月24日。

遺したい味

平松洋子・姜尚美『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』淡交社

私たちには生活というものがある。自分の生活に必要なものを、自分に嘘をつかずにじわっと選んでいくことが、結局は味を遺すことになる。

東京と京都に住むお二人が、自身の住む街の「遺したい味」を教え合う連載をまとめた一冊。それぞれの料理に対する言葉づかいや、細やかな表現から、食への思いがひしひしと伝わってくる。互いのあたたかな声の掛け合いを読んでいると優しい気持ちになる。上七軒ふた葉、鶴屋寿、進々堂、平野とうふ、鳴海餅本店、冨美家、ひさご寿し本店、キートス、イノダコーヒー三条支店、グリル富久屋、すぐきや六郎兵衛、一文字屋和輔、どこも行ったことのないお店で、すべて訪ねてみたいとわくわくしていた。

パンデミックの影響で、連載終盤から往復書簡にぴりりとした空気がまとうようになり「遺したい味」というテーマに重みが増した。思いがけない環境の変化によって、戸惑いつつも「遺したい味」をつづるお二人の言葉が、これを読んでいるあなたの「遺したい味」はなんですか、と問いかけてくるような気がした。9月24日。

梅雨のはじまる頃、id:lesliens225 さんにこの本を紹介していただき、手に取りました。とても素敵な本を教えてくださり、ありがとうございました!

ここで唐揚げ弁当を食べないでください

小原晩『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』

恵文社一乗寺店でジャケ買いしたエッセイ集。ツイッター上手そうだなと思いながら読んでいた。普段エッセイというとブログに投稿されたものしか読んでいないので、紙媒体でエッセイを読む体験自体が新鮮だった。甘ったるくも冗長でもない締め方でとてもきれいだと思った。「旨いコーヒーとたまごとソーセージのトースト」と「銭湯、限りなく、生」が特に好きだった。9月25日。

踊る自由

大崎清夏『踊る自由』左右社

天使みたいな頭痛が通り過ぎていって、
朝が来る。

id:kakushika33 さんのエントリー*3を読んで注文した。詩集を買ったのはこれがはじめて。いまのアルバイトを始めて数か月が経った頃のことだった。

まともに詩を読んだのはたぶん中学生の国語の授業以来だったので、当時を思い出して声に出したり出さなかったりしながら読み進めた。「世界が踊っているのだから ── für Pina」という作品は口に出すことで完成するのではないかと思うほど、発音するのが心地よくて、にたにたしながら朗読した。折に触れて声に出して読みたい。9月25日。