大森美佐『現代日本の若者はいかに「恋愛」しているのか』

大森美佐『現代日本の若者はいかに「恋愛」しているのか』晃洋書房

恋バナってめちゃしたいけれど、プライベートな会話をする機会ってないですよね! と思って大学生協で手に取った。「京都の出版社フェア」と掲げられたなんだかよくわからない売場に陳列されていた。以前から本書に興味があったのだけれど、値段が理由で購入に踏み切れないままズルズルしていた。恋バナしたすぎてえいやとカードを切りました。案の定恋バナとは関係なかったですが、おもしろかったです。

本書は、現代日本の若者たちが「恋愛」をどのように位置づけ、どのように恋愛行動をとっているのか明らかにしようとしている。ここでいう「若者」とは、首都圏に住む、高学歴・正規雇用者で、シスジェンダー・ヘテロセクシャルの20代の人びとを指している。彼らのグループ・ディスカッションと個別インタビューでの語りから、分析・記述を試みている。いまの日本においてもっとも活発に恋愛ができる若者(都内在住で高収入で異性愛者であり、社会構造的な制約が少ない)たちの語りには、躍動感と迫力がある。

読んでいて特におもしろかった箇所を引用して記録したい。本書では、恋愛、性・生殖、結婚について述べられていたが、恋愛や性にまつわる章からの引用が多くなりそうです。関心があるからです。

LINEやメールのやりとりは、文章として目に見える形で残る分、内省的にその関係を解釈させやすい環境をつくりだす。ICTでのコミュニケーションは「自己の振り返りという営み」をより一層強め、それ故に人間関係に対しても敏感にならざるを得ない環境をつくりだしている。(p.67)

「付き合う」きっかけとして、LINEやメール、電話によるやりとりが当然のように挙げられていて、当然ではあるのだけれど、いまの若者の恋愛の起点のほとんどがICTからって考えるとすごい。直接会ってコミュニケーションをとるよりも、はるかに合理的ですね。

「付き合う」こととセックスとが密接に関連しているのであれば、「付き合いたい」と申し入れることは、その延長で「セックス」の了承を得ることに繋がる。そこで、女性からは「好き」の感情だけ伝えることで、最終的にはセックスを「受け入れる」立場を保つことが可能になる。女性グループ2で、「匂わせる、だよね」と共有された意識は、女性自身が自らを客体化し、男性の主体化を図るというジェンダーの構造を象徴している。(p.85)

取り上げられていた女性たちの語りの多くが、いかにモテるか、いかに告白させるか、みたいな感じで、迫力があった。ちなみに男性たちは「釣り」に喩えていました。

W2-aさんの語りにおいて注目すべき点は、セックスを行うまでに、交際開始から3か月が経過したことに対して、一般的なカップルと比較して「遅かった」と感じ、「それなりに焦っていたと思う」と焦燥感を抱いていたという点にある。(中略)「付き合う」という契約関係を結ぶということは、カップルの双方が、誰とセックスすべきで、誰とすべきでないのかという排他的関係の境界を明確にする行為である。ゆえに、それらの排他性を担保するセックスを経験していないこと自体が、カップルとしての脆弱さを意味するのである。(p.110)

M2-a:面倒くさい。(セックスが)好きな人の方が多いと思いますけどね。
M2-c:いや、面倒くせーかな。ご飯いったり、夜景見に行ったり、一緒にいたいと思うだけで、あんまりエッチ(セックス)したいなーって思わないですね。70代くらいかもしれないですけど。
M2-a:俺もそんなにこだわらない。(p.116)

女性たちの会話で興味深い点は、男女の関係においてセックスを目的とした関係の方が、全く性的関係を持たずにデートを繰り返している関係よりも理解ができると考えている点である。つまり、そこにはカップル関係を築くうえで、男性から女性に性的関係を求めてくるべきだという期待や規範意識があることがうかがえる。(p.126)

彼女たちには、男性はセックスに関して、動物的かつ本能的であるという偏見がある。そのため、男性は女性を性的欲求のために追いかける生き物であるというロジックが立ち、もし正式な形で「付き合う」という恋愛関係に発展させたいのならば、男性は女性を追わせなければならないと考えている。それゆえ、彼女たちは、セックスは男性にとって「付き合う」という契約を成立させるための「インセンティブ」になると認識していた。(p.127)

限定された調査対象であり、著者による解釈も含まれているだろうが、男性たちがセックスに対して受動的で、それに伴う責任を回避・軽減したいと考えている一方で、女性たちは男性が性的欲求によってセックスを求めてくるべきであり、ときにそれは社会的交換の報酬として認識している傾向にあると分析しているのは興味深い。

「結婚すると疎遠になりがち」という閉鎖的な構造は、家族成員ではない外側の意識によっても強固に支えられているということである。さらに、その意識は異性の友人関係の方が強く認識されていた。(p.185)

本書の考察では、かれらが比較的高階層であるがゆえに、自身が育てられたと同様の既存の家族のあり方を志向する傾向にあることが確認された。つまり、かれらは、自身が所有する資源や能力を利用して、個人の自由な選択のもと、家族の個人化や多様化へ向かうのではなく、最終的には近代家族像に収まるようなかたちでの恋愛や結婚へと回帰するような嗜好性を持っていることが確認された。(p.205)

これがこの研究のいちばんおもしろいポイントで、高学歴・正規雇用者の若者に焦点を当ててインタビューしたことで、高階層の彼らだからこそ近代家族像を求めるかたちで恋愛行動をとることが明らかにされてる。