水野しず『親切人間論』

水野しず『親切人間論』講談社

このあいだビリヤニを食べに行った日に友だちに貸してもらった。そういった背景もあるのでビリヤニ親切人間論という感じで捉えている。自分のことを知っている人による選書は頼りになる。おもしろい本だった。

最初に収録されているエッセイが「本は全部読まなくてOK」というタイトルで、「目次だけ読めばいい」、「一行読んだら十分読んでいます」といった熱烈読書論が展開されていたので、それに従うことにした。似たような趣旨の書籍をいくつも読んできたが、どうしても全ての文章に目を通さなければというプレッシャーを感じてそうすることができなかったので、飛ばし飛ばし読む体験ができてかなりよかった。どの本の前付にも「全部読まなくてOK」って書いてあったらいいのに。そういう栞を作ったらいいかも。全部読まないと既読とはみなさない圧って、ネタバレに過敏なことと、作品を情報の集合と理解しているという点で似ている気がする。

目次をざっと読んでみたら、特に『演繹』のパートに気になることが書かれていそうだったので、そのあたりを中心に読み進めた。

【提言】テディ・江角マキコ(概念)はドーナツである

お前らは結局、欲望されることによってかろうじて資本主義の中に存在を許される経済動物の一部に過ぎないのだという現代における普遍的なプレッシャーを、ドーナツだけは退けている。 p. 177

なぜだかミスタードーナツに抱いてしまうやさしい気持ちについて書かれていて嬉しかった。僕もオールドファッションが好きです。ポン・デ・リング以後のミスタードーナツは「ミスド」と呼んでいるらしいけれど、その感覚は(自分が以後の世界しかしらないから)よくわかんなかった。こういうことって頻繁にありそうで、だから長生きするといいことがあると感じた。

ポーツマス

人生はギャグではないのにギャグは「ギャク」としてそこに存在してしまうという実態があり、ギャグとして機能する意味性以外の余白が全てギャグ以外の迫真の実態を浮かび上がらせる強固な舞台装置となる。 p. 199

ギャガ―がギャガ―と名乗りはじめたときと自分はギャガ―であると認識したタイミングってちょっとずれていて、そのときの気持ちってギャガ―以外は知り得なさそう。

「突然の熱海」をやりにいく、コントローラブルな主体概念としての「30代女性」

「違いが分かる」とはどういうことなのか、改めて考えてみるとそれは「逸脱をせずに特別である」ということになります。 pp. 206-207

ご存知でしたか? ロハスの匠はインスタにアップロードせず熱海に行くことが可能ですし、いなり寿司を購入するついでにお麩まんじゅうをバラで1個購入していることもまた大いなる可能性としてあり得ているということを、決して忘れてはならないのです。 p. 214

これがいちばん読んでよかった! この文章を紙媒体で持っていたい。買えばいいということか。

このブログをひとつのプロジェクトとして走らせているのは、まさに「突然の熱海」をできるようになりたいからで、ブログを立ち上げる前にこの本を読まなくてもよかったと思った。「突然の熱海」と称するブログになっていた可能性があるので。


あと何本かのエッセイを引用してメモを残そうかと思ってたけれど、つかれたのでこのあたりで切り上げます。水野しずをTwitterでおもしろい動画をアップしている人と認知したのが数年前のことで、いまはどちらかというとnoteでおもしろい文章をアップしたり(たまに読んでいる)、Instagramのストーリーズでおもしろい質問回答をしている人という認識に移りつつある。YouTubeにまとめ動画が投稿されていたのでいくつかみた。おもしろすぎる。

最後に全然関係ないけど、さっき食べた坂田焼菓子店のおやつを紹介します。

『親切人間論』とは全く関係ないさっき食べた坂田焼菓子店のお菓子

坂田焼菓子店の Lemon Chess Pie と Ice Cream Sandwich Strawberry Flavor

アイスクリームサンドとってもおいしかったのでみなさんもぜひ食べてみてください。ビリヤニとかドーナツとか焼菓子とかなんか食べ物の話ばかりしている。いっぱいたべてOK