(おろらく)誰かがそこに置いた

もう誰もいない場所から、誰かがいた痕跡を見つけると嬉しくなる。

公園を訪れたときにドッヂボールのコートの線が残っていたり、アスファルトにチョークで記号やイラストが描かれていたり、オフィスチェアが自分の体格に合っていない高さに調節されていたり、あるいは教室に設置された机の隅にに消しゴムのカスが寄せられていたり。それらは、その場で他者が快適になろうとしていた跡である。誰かが世界に関与しようとした意思を確認することができる。僕ももっと世界に関与していくぜイケイケドンドンなバイブスになってくる。

ゼミの活動の一環として目を通した論文のいくつかで、制度下に置かれた行為主体による意志のある行動を記述しようとしていたものがあった。そうした、ある環境とそこに置かれたアクターという枠組みで目に見えたものを認識しがちになっているというのもあるかもしれない。

近所をぶらぶら歩いていると、しばしば誰かの関与を見つける。ここでは、(おそらく)誰かの手によって置かれたものについて写真と併せて紹介していきたい。

扇子と手紙

2022.08.18 撮影

松本市を流れる女鳥羽川のほとりに扇子が手紙を添えて置いてあった。罫線入りのメモ用紙に「少し借りさせていただきました。by 変態」と記されている。その言葉を信頼すると、この扇子は変態が少し借りたものということになる。変態が少し借りた扇子。

銀杏

2022.09.30 撮影

千本通り沿いにはイチョウが植えられていて、この時期になると銀杏がぼろぼろ落ちている。近所の住民がそれを拾って、処理して、干しているのだと思う。この近くに山があって、木々の隙間に果肉がどさっと捨てられていた。毎年の行事であれば、この銀杏の処理によって支えられている生態系があるのかもしれない。

小石と小枝

2022.10.15 撮影

公園の入り口に腰の高さくらいのコンクリートの塊があって、そこに小石と小枝が並べられていた。よく見るとナンテンらしきものもある。

どんぐり

2022.10.16 撮影

キノコのカサにどんぐりが置かれていた。もしこれが人の手によるものではなくて、落下地点がちょうどキノコだったのだとしたら、かなり盛り上がれると思う。VTR があればみんなでがやがや言いながら観てみましょう。

小石と小枝

2022.10.22 撮影

船岡山公園のあるところでも、小石と小枝スペースが展開されていた。小石が集まっていたり、小枝が並べられていたりというような秩序を観察すると、誰かの意思決定があるなと強く感じる。僕も小石をまとめたり、小枝を整理したりするようなことで、関与していきたい。