乾いていて明らか

京都には明日戻るつもりだったけど、京都市長選挙の投票のために今日戻ることにした。電車では、吉田敬の『社会科学の哲学』を読んだ。第 4 章から、文化相対主義の立場がどのような点で問題なのかを知ることができた。社会や文化によってものの見方は異なり、その違いを乗り越えることはできないという前提に立つ文化相対主義は外部からの批判だけでなく、内部からの批判すらも許容しないという切り口だった。下宿先に着いて、まず、布団カバーとシーツを洗ってコインランドリーで乾かした。

京都シネマで『枯れ葉』を観た。映画に湿度があるとしたら、本作はとても乾いている作品だった。画の質感がざらざらしていて、描かれる人物たちが淡泊な素振りをしている。一方で、このあいだ観た『哀れなるものたち』はかなり湿り気のある映画だと思う。ねっとりした作品に触れると体力を消耗するので、リラックスして観ることができた。あと、登場人物たちの発話や行動があからさまに表現されているのもよかった。『ドライブ・マイ・カー』みたいな。意図と行為が明確に対応関係にあるみたいな感じ。この表現も、乾いている印象に結びついているのかもしれない。お前はなにをしたいんや、お前はなにを伝えたいんや、ということを変に濁さないで(/高度な解釈なしに)伝えられる。執着のない人や割り切った関係性を「ドライ」と喩えるときってややマイナスな意味を込めることがありますが、意図が明瞭であったり行為の解釈の余地が狭かったりといい側面もあるのかもしれませんね。とはいえ、現状僕はねっとりした性格だと思うし、どっちかというとそうでありたい気持ちもあるかも。あと『枯れ葉』は、働くことについての映画でもあった。

映画館の近くにある本屋で大田ステファニー歓人の『みどりいせき』を買った。読むのが楽しみ! 自転車のライトの乾電池を交換したらより遠くまで照らせるようになった。ジーンズの裾をまくらないと風が入ってこないので冷たくない。アップリンク京都や京都シネマで映画を観たあとは、烏丸通を息が切れるくらいの速さで自転車を漕ぐのが好き。

京都シネマで『枯れ葉』を観た🍂