できるだけクリスマスを満喫する

20歳(はたち)のクリスマスを可能な範囲で最大限楽しみたい。

12月24日

朝食のトーストを食べているときに自分がクリスマスに直面していることを知り、いてもたってもいられなくなってしまった。なんてったってクリスマスなのだから。同時に、クリスマスを迎える準備を何もしていなかったことにも気づいた。かねてから華やかな飾りつけをして部屋を演出することもなければ、背伸びしてケーキを予約したりフライドチキンを食べる予定を立てたりすることもなかった。遅れを取り戻すために、とりあえずSpotifyで「クリスマスソング」と検索してトップに出てきた「All I Want For Christmas Is You」を流し、場をあたためクリスマス・ムードへ持ってゆくことに成功。

楽しげな形をしたクッキーやスコーンなどを食べればなんとかなるだろうと思って、近所の洋菓子店へ向かった。「どんなクッキーが売っているだろうか」と心を躍らせながら到着したが、店のガラスに「予約済みのお客さんだけに販売する」という旨の張り紙があり、門前払いをくらった。クリスマスでは、クリスマスになる前からクリスマスを楽しもうと準備していた者が成功を収めることを学んだ。帰り道にセブンイレブンに寄ってスイーツコーナーを眺めたが、一切関心を持てなかったので、収穫ゼロでうなだれて帰宅した。

朝の10時からはアルバイト、16時半からは年内最後の対面授業があったので、それらに取り組んだ。講義は実質的に最終回であったが、どことなく学生の数が少なかった。クリスマス・イブくらい授業に出席しなくたっていいよな~と思いながら、特に面白みのない授業を90分受けた。

サバのトマト煮を食べる

18時半頃に帰宅し、サバのトマト煮を作った。

普段サバは焼き魚にするか、揚げ焼にしてあんかけにして食べるのだけれど、赤いトマトを使って調理すればクリスマス感を漂わせることができるのではないかとトマト煮にした。冷蔵庫にあったナスやタマネギ、ブナシメジなども使用して野菜たっぷりのトマト煮を作ることができた。ナスはとろとろにして食べたかったのであらかじめ単体で炒めたけれど意味ある行為なのかは分からない。

『クーパー家の晩餐会』を観る

アルバイトが終わって帰宅したという恋人から『クーパー家の晩餐会』というクリスマスにまつわる映画を観ると連絡があったので、せっかくなら一緒に観ようと誘い「Prime Video ウォッチパーティー」を使って一緒に観た。お互い着目する点が似ているのか、同じタイミングで同じコメントをすることが何度もあって楽しかった。

映画自体はまずまずといったところで、分かりやすいコメディー作品だった。ティモシー・シャラメがめちゃ汚いキスをするシーンが何度もあるという点ではかなり最高の映画だった。

そのまま彼女と3時前くらいまで電話をして寝た。

12月25日

9時過ぎに起床、10時半頃に動き始めた。

前日の天気予報では雨が降るとのことだったので、読書などで時間を過ごそうと考えていたが、明らかに晴れていたため急遽遊びに出かけることにした。以前から観たいと思っていた園子温の新作映画が公開されていたため、サクッと予約して、自転車でアップリンク京都へ向かった。

近所で火事が発生いていて道が大変混雑していた。信号待ちのときふと見上げると、アパートの一室からたったいま起きたばかりという顔をした若い男女(恐らく学生)が消防車のサイレンに反応してベランダから外の様子を眺めていた。彼らの様子がとてもよかったので写真を撮ろうとしたが、やめておいた。

エッシャー通りの赤いポスト』を観る

ネタバレします。

結論から言うと、あまり面白くなかった。「人生のエキストラになるな!」というありきたりなテーマが浅薄で、それを敢えてやる意味がよく分からなかった。渋谷のスクランブル交差点でのゲリラ撮影をして警察に止められるところでエンドロールを迎えるのだけれど、くだらないYouTuberと同じことをしているような気がしてイマイチ盛り上がれなかった。そういう"型破りな手法"は、もうなんか違うと思う。俳優は魅力的な人が多くて楽しかった。

途中で離席してしまってかなり後悔している。ただ、漏らす方が後悔してたと思うので賢明な判断をしたとそのことを正当化している。

クリスピー・クリーム・ドーナツを食べる

前日楽しげなフォルムのクッキーを食べられなかったので、リベンジとして「クリスピー・クリーム・ドーナツ」を買いに行くことにした。

店舗の所在の見当がつかず諦めかけていたのだが、改札内に看板を発見し無事に購入できた。2敗するところだった。行列は若者やカップルで構成されていて、それぞれ家に持ち帰って楽しく食べるのだろうなと思うと胸がいっぱいになった。あいにく僕はひとりだったので「オリジナル・グレーズド」を3つ買った。思っていたよりも安くて驚いた。

『闘争領域の拡大』を読む

帰宅後、ドーナツを食べながらミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』を読み進めた。この本は先日大学生協が催していた15%オフセールで購入したもので、同日アルバイト先の先輩も『闘争領域の拡大』を入手していたというわははエピソードがある。

まだ「第1部」しか読めていないが、せっかくなので気に入ったフレーズを紹介したい。

目下、世界が画一に向かっている。通信手段が進化している。住居の中が新しい設備で豊かになっている。徐々に、人間関係がかなわぬものになっている。そのせいで人生を構成する瑣末な出来事がますます減少している。そして少しずつ、死が紛れもないその顔を現しつつある。
ミシェル・ウエルベック(2018)『闘争領域の拡大』河出文庫、22頁。

きっと彼は午前中ずっとメモを取る。時にそれはかなり意外なタイミングだったりもする。
ミシェル・ウエルベック(2018)『闘争領域の拡大』河出文庫、44頁。

日々にこれといった事件が起こらなければ、ついには気候の変化が人生において大きな位置を占めるようになる。僕にはそれは当然のことに思える。そもそも俗に言われる通り、年寄りにいたっては、もうそれしか話さない。
ミシェル・ウエルベック(2018)『闘争領域の拡大』河出文庫、61頁。

できるだけふつうにクリスマスを満喫すること

街へ出かけると、さまざまなカップルがそれぞれの方法でデートを楽しんでいて、なんて素敵なんだとじんわりした。街全体が浮かれていて、それにつられて僕も浮かれていた。「クリスマスに思いを寄せる人とデートをする」というステレオタイプには、これまでの自分では理解できなかった様式美が確実にある。「クリスマスに好きな人と時間を過ごしたい」という精神性が魅力的というか、ふつうであることの喜ばしさを強く感じたということ。「クリスマスにデートをするなんてくだらない」という斜に構えた仕草も型にはまっていてそれはそれでいいのだけれど、「クリスマスにデートする」の美しさには及ばない。2022年は「ふつう」が来る。僕たちはそれぞれの「ふつう」のために邁進していかなければならない。

という気持ちでクリスマスを過ごしていた。準備不足な点もあったが、自分ができる限り最大限の努力をしてクリスマスを過ごすことができたと思う。今年は講義があったので恋人に会うことができなかったけれど、来年こそはクリスマスにデートをしたい。