ミシェル・ウエルベック『素粒子』

ミシェル・ウエルベック『素粒子』筑摩書房

大学に入学してから小説を手に取る機会がめっきり減ってしまったのだが、昨年のクリスマスに『闘争領域の拡大』を読んで以降、ミシェル・ウエルベックのいくつかの作品を読んでいる。先日『ある島の可能性』を買うために大学生協を訪ねたらあいにく売り切れていたので、この『素粒子』を買った。フェアで15%オフ。

のちに経済のグローバリゼーションが進むと、競争ははるかに激化し、国民の大半が駐留に属して購買能力は増す一方などという夢は一掃されてしまう。社会の階層差が開き、生活の不安定感と失業が広まった。そうはいっても、性的競争の厳しさが和らいだわけではない。まさにその逆だった。(p.90)

セックス至上主義的な態度をとり続けるブリュノを通して『闘争領域の拡大』で問題提起されていた点が記されているなと思いながら読んでいたんだけど、これって『闘争領域の拡大』の次に出版された作品なんですね。わかる。訳者による解説で丁寧に取り上げられていた。

「こんにちは……」と彼は声をかけた。そこで言葉を切ると、娘は顔に皺をよせ、怪訝そうな表情をした。「こんにちは……。このあたりのどこにお菓子屋さんがあるか教えてもらえますか?」「え、なに?」(p.180)

了解です。

結局のところ、とミシェルはカーテンに射す陽光のゆらめきを眺めながら考えた。男は何の役に立っているんだろう。大昔、まだ熊がうじゃうじゃいたころならば、男らしさは特別な、他に代えがたい役割を演じていたのかもしれない。だが数世紀来、男はもはや明らかにほとんど何の役にも立っていないように思える。(p.224)

男らしさ。

もはや何の対立もなく、セックス問題はすでに解決済みなんだと分かっているのは何て気持ちがいいんだ。めいめいが可能な限り、他人の快楽のために力を尽くしてくれるというのは何て気持ちがいいんだ。(p.300)

ブリュノがクリスチヤーヌとともにヌーディストビーチへ足を運び、別のカップルと行動を共にする場面。ブリュノよかったね、という気持ち。ウエルベックの作品を読むと性的に興奮したり腹が立ったりすることがしばしばあるが、一貫してなぜか落ち着ける。あと女性器とオーラスセックスを神格化しすぎじゃないですか。そういうもんなのか。

わたしの会った男は全部、老いることの恐怖にとらわれていて、たえず自分の歳のことばかり考えていた。年齢のオブセッションって、すごく早くから始まるのよ。二十五歳でもそうなっている人がいた。(p.320)

俺も老いが怖いです!

だが生命そのものが破壊作業を進行させており、彼らの細胞、器官の複製能力にじわじわと衰退をもたらしていた。知能を持ち、愛し合うこともできたはずの哺乳類二名は、秋の朝に燦燦と注ぐ光の中で見つめ合った。「もう遅すぎるっていうことは分かってる。それでも、やってみたいの。わたし、七四年度の通学用定期券、まだ持っているのよ。一緒に高校に通った最後の年。それを見るたびに泣きたくなる。どうしてここまで悲惨なことになったのかが分からない。どうしても納得できないのよ。」(p.324)

墓地でミシェルがアナベルと再会して寝た翌日の場面。このパートは彼女のこのセリフで終わる。私はここをとても美しいと思う。