「からあげにレモンかける?」

  • 来週末までに論文の初稿を提出しなければならない。3年生春学期の半ばからグループでかんたんな研究を進めていて、年明けに学部内の懸賞論文に応募することになっている。もうこれ以上リサーチをしても仕方がないので、手元にある材料をこねくり回すしかない段階なんだけど、まともに論文に目を通していないので、なんかそれっぽい立て付けで書かないと大変なことになるぞ、という感じになっている。とはいえ恐らくゼミのなかではプレ卒論みたいな位置づけだろうから、DIBTP("Done is better than perfect" の略)の顔つきでドラフトを書き上げるのがよいでしょう。
    • 先日ゼミの人たちと共同作業していたとき、DIBTP のことが俺の頭から離れなくなって「Done is better than perfect」 と口走り続けていたら、みんなから「ハイハイ」みたいな目線を向けられるようになっておもしろかった。賛否両論かとは思いますが、私は「呆れられる」というコミュニケーションがかなり好き。
  • 誕生日を尋ねられて「21歳です」と答えると高確率で「若いね~」と返されるので、ドヤ顔で「若いです!」と応じるようにしている。年齢を尋ねてくる人は大体年上。あるいは僕が年下との交友関係がないだけの可能性がある。年上の人は若者が「若いです!」と言っていると喜ぶのでお互い楽しい気持ちになれると思う。
    • こういう場の沈黙を埋めるためのコミュニケーションをほんとうに大切にしていった方がいいと思う。何も話さないことで生じるやりとりも素晴らしいものだけれど、ハイコンテクストであるのは間違いないので、あなたとのコミュニケーションを絶つ気はないのですよという意思表明をしていきたい。
  • モナ王
  • あなたの美しい文章 → だれかの歯ぐき広告 → あなたの美しい文章
  • 仮に「推し」というものがあるとして、その人物の一挙手一投足に左右される人生があったらほんとうに悲しい。タッチポイントがわずか、あるいは全くない人物へ過剰に思いを馳せることについて考えていきたい。
    • 企業を中心に「好きなひとやものがあることって最高!」みたいな形で「推し」の存在を肯定的に喧伝されているけれど、やはりそれはマーケットのメカニズムを基盤としたやりとりでしかないし、原則としてコンテンツの生産者と消費者であるのには変わりないと思う。もちろんそうじゃないケースもあるだろうけれど。とにかく「推し」は目をそむけたくなるようないくつかのことがらをウォッシュする機能がある。
    • 好きなひとやものがあることは素晴らしいことだけれど、それ自体についてわざわざ取り上げることはしなくてもいい。
      • 「推し」の存在は行き場のない社会やありとあらゆるものがマーケットの原理のもとでコンテンツ化される環境を示しているような気もする。
  • Flipper's Guitar の楽曲の中で「The Chime Will Ring」が最も好きなので Twitter のスクリーンネームに「Chime」を含めている。
  • ジェルネイルをしてもらってからというもの爪が気になるようになって、爪切りからガラス製の爪やすりで爪を削るようになった。綺麗なまあるい形に仕上げるのが案外難しい。
  • ゼミの同じグループの人に「からあげにレモンかける? かけない?」の話題を振られたので、複数人で食べた経験がないから分からないと正直に返事したら、予想以上に絶句されたのでおもしろかった。
    • 2020年度入学生は複数人で食事や飲酒をする体験はしたことないし、とりわけ2年生までは下宿先に閉じこもっていたとばかり思っていたが、実際のところ僕が特異なケースだったことが明らかになりつつある。Z世代はお酒飲まないですよと折に触れて叫んでいたが、訂正していったほうがいい。あと飲酒が習慣になっている人はちょっとおかしいと思う。
    • 絶句以降展開がなかったので、レモンをかけることは、からあげに味をつけることが本質ではなく、レモンを絞るという動作そのものに楽しさを見出しているのだというわけのわからない意見を主張して、その場を完全にめちゃくちゃにして、投了。