傷つくことをハンドルする

通りから外れて鴨川沿いにとび出すと、それまでの人だかりが嘘かのようにのんびりとした場所になる。明言されてはいない予定の時間までまだけっこうあったので、ほとりに腰かけて宮地尚子の『傷を愛せるか』を読み進めていた。久しぶりにイヤホンを持ち出さなかった。ジーンズにはスマートフォンと財布しか入らないし、ジャケットの内ポケットは文庫本で占められていた。

「水の中」というエッセイでは、水面を眺めることについて書かれている。それを読みながら僕も鴨川のゆらゆらとした水流を眺めた。そうすることで感じたことは特になかったんだけれど、記されていることと似たようなことをすることで、テキストと体験の記憶との結びつきが普段と違ったものになると思う。パンを焼くことについての文章を読んだときについでにベーグルを焼いたり、水島へ行くまでの道で福井県についての本を読んだりすると、どちらもよい体験になるような気がする。

内ポケットにガサツに出し入れしていたせいで、カバーのふちが少し傷ついた。特に文庫本はていねいに扱いすぎてもあれでしょという気持ちがある。

目の前にあったのは、わたしが向かっていったのは、死ではなかった。ただ揺れる水の影と輝く光、そして果てしなく広がる、大気と波紋と希望に満ちた空間だった。 p. 30

宮地尚子『傷を愛せるか』を鴨川で読んでいた

家族と京都へ遊びに来ていた彼女がうまく時間をこしらえてくれて、いっしょに夕飯をとることにした。連休中は会えないと思っていたのでよかった。タイ料理屋へ行ったあと、コンビニで買ったおやつを鴨川沿いに座って食べた。少し寒かったね。またいっしょにご飯食べようね。

あなたとしゃべると元気がでるよ。

ちょくちょく遠慮したコミュニケーションのときがある。もっとガサツに扱ってもいいし、むしろそうしてほしいとさえ思うけれど、そう感じるのは僕の傲慢というか、普段の振る舞いに起因するものもあるかもしれない。

LOTUSのカオマンガイを食べた

彼女と解散してから、このあいだアルバイト先の上司に紹介されてずっと観たいと思っていた『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を京都シネマで観てきた。素晴らしい作品だった。

ジェンダーにもとづく差別や暴力を社会に埋め込まれたものとして考えざるを得ない・所与のものとして取り扱わないとやっていけないつらさや、そうした暴力が現実味を帯びたときに生じるやるせなさ・自分が問題なく生きられていることへの恥のような気持ちが表現されていたと受け取った。明らかな性被害を「私は大丈夫だから」と笑い飛ばしていた人のことと、そのときに抱いた気持ちを思い出した。犬や猫の愛らしい動画ではなんともならないことはいくらでもある。

男であることがいかに特権であるか、それを自覚して男性であることが由来して無自覚のうちに誰かを傷つけてしまわないかと考えることは、自分が加害者ではないことを確認したいからという感覚は、どうしても拭いきれなくて、怖い思いをさせたくないという思いから生まれる行動はポーズでしかないのかもとも感じた。冗談という前置きでなんでも許されようとするセクシャル・ハラスメントや受け流すことを当然とする性暴力が横行している社会のことについてもっとよく考えていきたい。自分があまり社交的でなくて、あるいはきわめて鈍感だから(これもまじで終わってる言い訳だけど)、そうした性暴力を目の当たりにしたことがなくて、もしそれに遭遇したとき自分にはどんなことができるんだろうとよく考える。

ぬいぐるみとしゃべることは自分との対話という側面があるということや、傷つくかもしれないけれどわたしはあなたの話を聞きたい・聞かせてよ、というところに着地したのは、僕の考えとも近いところがあって嬉しかった(?)。いい決着のつけ方だったな~。

いかに傷つかないか、傷つけないようにするかということに目がいきがちなんだけれど、この作品を観て、いかに傷つくことをハンドルするか、つまりいかに傷ついたり傷つかなかったりするかということを受け取った。これは自分が強い立場(ここ最近はなんかよく感じてる)であるからこそ感じられることなのかもしれないけれど、これまで傷つかないことの優先度を高めすぎて身動きがとれないことが頻繁にあったから、傷つくことで得られることについても考えてもいいかもってこと。でもこれってマッチョなのかも。作品の中で、やさしさと無関心について語られていたときに感じた。でもガサツに扱われることが心地よいことってあるもんね。対人関係はもっともがんばりたいことのひとつ。

あと再確認できたこととして、大学生とか大学、サークルとかの描写を気持ちよく受け取れないってのがある。入学式とか新入生歓迎会とか回生呼びとかサークルの人たちと食事とかかなりしんどい。こういう傷つきはOK。コミュニケーションをサボらないことと、誰かを傷つけないようにケアすることのバランス感覚って実践で学んでいくしかない。

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を京都シネマで観た