ヒューリスティック

濃い味の食べ物で腹を満たしたい気持ちになったので、近所のセブンイレブンでカップ焼きそばと塩むすびを買ってきて、昼すぎの講義で読む論文を振り返りながら食べた。その研究は、嗜好品に関心のある消費者はシンプルなパッケージデザインの製品を購入しない傾向にあると主張していて、たしかにこの U.F.O. はゴチャゴチャした包装をしていると思った。専門書と比べて週刊誌はゴチャゴチャしているし、『悪は存在しない』のポスターよりもオモコロチャンネルのサムネイルの方がゴチャゴチャしている。ちょっと話を飛躍させます。僕はしばしば目的と意図と行為が一貫した人間像を理想としているけれど、実際はそんなに単純なものではないしゴチャゴチャした人間像の方が魅力的でさえあったりすると思う。昼だから大丈夫だろうと短パンで出かけたが寒かった自転車だったし。

講義は先生と僕のふたりで行われている。いわゆるトップジャーナルに掲載された論文をゆっくり読んでいる。前回は僕の予習不足でまともな議論ができなかったので、今回は念入りにレジュメを作成して議論することのできそうなトピックをいくつか準備しておいた。このあいだよりは悪くないディスカッションをすることができたと思う。読んだ論文では「ヒューリスティック」について言及されていた。ヒューリスティックというのは、経験やバイアスにもとづいて簡易的に結論を出すやり方のこと。普段からわたしたちは、比較検討を重ねた合理的な意思決定をしているというよりは、むしろえいや!と判断することもよくあるということですね。ちょうど僕もこの時間のかからない・直感的な・「えいやっ!と飛び出す」ような意思決定をしかねているところ。4 月の半ばごろから就職以外の選択肢が上がってきて、そこから身動きがとれずにいる。身動きをとらないでいるというか、ずっと保留にしているという言い方が近いかもしれない。

講義が終わってから、キャンパスの外のベンチに座ったり寝たりしながら、本多勝一『日本語の作文技術』を流し読みした。これ読んだ後に文章を書くのって緊張する。17 時半からの『悪は存在しない』を観るために出町座へ行ったら、17 時上映開始だった。うどんを食べて帰った。悪は存在しない。

ヒューリスティックで思い出したんだけど、2 年前に受けた講義で紹介された「情動」という概念をずっと覚えている。そこで情動は、言葉になる前の身体的な反応や瞬間的に覚える刺激として定義されていた。つい Twitter のタイムラインのおすすめを眺めてしまう(ほんとは見るだけで嫌な気持ちになるのに)。おもわず Instagram のリールを何度もスワイプしてしまう(どの動画を見ても自分の人生が好転しないと分かっているのに)。やめたいやめたいやめたい気持ちはあるのに、全然やめることができなくて本当につらくなるが、「やめたいけどやめられない」という状況をいったん受け入れるしかない。まずはそこから。ひとまず受容するということについて、最近友だちと合意をとった。

この春からのことについて書きたいと思ったこと・書くべきと思ったことはいくつもあったはずなのに、なにも書けないままそれを見送っていた。たとえば、友だちとご飯に行ったこととか、意味の分からない面接のこととか、ベッドを買ったこととか、久しぶりに運転したこととか、これからの進路のこととか、彼女と踊る!ディスコ室町のライブを観に行ったこととか。

あらゆることを取り組もうとして、すべてが中途半端になりうまくいっておらず、ただ何かを進めているという感覚だけがあり、実際には何ひとつ進んでいない状況にある。とはいえやるしかないので頑張っていこう! 明日からまたあったかいらしいし!