一線のみきわめ

昼下がりに高校の同級生が押し掛けてきた。インターンシップのエントリーの書類に必要な証明写真を撮影したいが、スーツを持ち合わせていないので貸してくれとのことだった。成人式以来着ていないスーツを貸した。クリーニングから返却されたのをそのまま置いていたので、ビニールとかびらびらしたタグがついたままだった。

彼とは同じバスケット部で同じ大学に進学しているという共通点があるが、それ以外あまり接点がなく京都へ越してからも数回ほどしか会っていない。19時半ごろに部活が終わって21時まで部室でだらだら時間を過ごして一緒に自転車で帰宅することがよくあったような記憶があるけれど、大学生になってからぱたんと会うことがなくなった。お互い遠慮していたし、わざわざ会って話すほど楽しいヤツではないよなーって共通認識があったのかも。そのくらい仲がいい。

彼はサマーインターンシップにいくつか応募する予定らしい。あと日商簿記1級の試験も受験したんだって。前向きに生活に取り組んでいてかっこいい。かくいう僕も前向きに生活をしているので、今晩は麻婆豆腐茄子を作って平らげた。さっさと就職活動をはじめたほうがいいのではないでしょうか。たとえば猛暑を生き延びるためには冷房が必要で、それを動かすためにはお金がいる。いまはオンラインだけで完結するインターンシップもあるのだと彼は言っていた。ブログを書くためにはデバイスを起動させるための電力がいるし、快適なインターネット環境もいる。漠然としたやりたくなさをどうやりくりするかみたいなフェーズ。

POPEYE Webで取り上げられていたクリステン・R・ゴドシーの『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』を読み進めている。kindleで読んでいると気軽にハイライトできるのが裏目に出て結局どの一説がとびきりよかったのか分からなくなることがある。それに陥ってる。資本主義では性にまつわるあらゆることが商品化されていると切り出されて、社会主義下の恋愛や夫婦関係などからヒントを得て、市場から性生活を取り返そうと言っている。あなたとの関係をよりよいものにしたい。

嬉しい連絡を何度も読み返している。ここ数週間気が高ぶって突然メッセージを送る体験がいくつかあって、そのたびにほんのり後悔する。少し離れたところから声をかけるのと後ろから肩をたたくのには超えてもいい程度の一線があって、それを超えることをしている。

一昨年家族が遊びに来たとき、いつか使うかもしれないからと置いて行った紙コップのタワーがふたつ棚の奥から出てきた。いつか使うかもしれないのでとってある。

頭をからっぽにして大きい声でしゃべり続けることが好きなのにその機会に恵まれていない。自ら機会をつくる必要がある。

夏になったので近所の自転車屋へ点検をしてもらいに行こうと思っている。前回髪を切ってから1か月が経ってぼさぼさになってきたので髪を切りに行きたい。窓を開けると風が入ってくる。今日はスイカバーを2本食べた。