なかよくなるための 1 on 1

ひとまず秋学期の授業がすべて終わったので帰省した。数週間前に卒業論文を提出してからは、どの講義も「流し」でやっていました。ここ数日でようやくグッタリした感じから抜け出してきていて、読みたいと思ってなかなか読めていなかったマーク・リショールの『Philosophy of Social Science』における還元主義に関するチャプターをゆっくり読み進めたり、なにを見せられているのかよく分からなかった映画『光る鯨』やいろんなことをしたくなる映画『哀れなるものたち』を映画館へ観に行ったりしている。

ほとんどいつも彼女が岐阜駅まで迎えに来てくれていて奇跡すぎるなと思いながら乗車している。韓国料理屋でプルコギと石焼ビビンバを食べて、柳ヶ瀬商店街をぐるりと散歩した。前回行って空いていなかった本屋メガホンが今日も空いていなくてけっこう残念だった。金公園のベンチに座って近況を報告し合った。最近にしては暖かい日で日差しが気持ちよかった。照らされた芝生がいい青色をしていた。

数日前からバスケットボールをしたくてうずうずしていたので、リングのある近所の公園へ行った。バスケットゴールのある公園が歩いて 20 分くらいのところにあるのってかなり幸せなこと。中学生くらいの男の子がシューティングをしていたのでそこに参加した。無言でボールを放っているとだんだん気まずくなるので、年のパワーを利用して話しかける(たとえば「どこ中?」など)。さすがに「どこ中?」とは聞かないけど、学年とかポジションとかを尋ねるとなんとなく知り合いになった感じになる。ソラくんという名前らしい。かつて僕が中学生だったとき、こうやって話しかけてくるお兄さんいたし、話しかけてくるのうれしかったよなと思いだす。しばらくして高校生くらいの男の子もやってきたので三人でだんまりシューティングをした。ちなみに彼はソウタくん。

日が暮れてきたころ、ソラくんに声をかけて 1 on 1 をした。1 on 1 にもいろいろな目的があるが、これはなかよくなるための 1 on 1。バスケットボールに限らず、なかよくなるための 1 on 1 が生活の中にもっと増えていくと楽しくなれると思う。おれだけがなかよくなっていると感じている可能性もあって、これについては年のパワーとかそれにもとづく先入観とかを意識する必要があるなと思う一方で、かつて年上に声をかけるのって難しかったし、声をかけてもらえるのって(よっぽどのことがない限り)嬉しかったから、ワンオンワンしよ~って言った。なによりだんまりシューティングして帰るだけってさみしすぎると思ったから(とくにおれが)。ソウタくんともやった。僕の体力を考慮して、3 本先取勝敗をつけたんだけど、足がつりそうになりつつも大人げなく勝った。おれのプレイスタイルってかなり変というかずるいので、こうしたシチュエーションのときって大体うまくいく。ゲーム中にソウタくんが「おもしれー動きだな」とボソッとつぶやいていた。

近所のバスケットコート(なんかめっちゃブレてうまく撮れなかった)

キンパという信頼のかたち

昼休みに入る直前、アルバイト先の同僚とキンパを食べたいという話題で盛り上がっていた。僕もキンパ食べたいと言いながらも、キンパを食べるには自転車を漕がないといけなかったので、冷蔵庫にあるもので適当に昼食を済ませようと思っていた。その通りに話すと、同僚のひとりから「狭い世界で生きるな。外へ出ろ」と力説された。たしかにそうだと思って、近所の韓国料理店まで行くことにした。

うまいうまいと思いながらキンパをぱくぱく食べていると、店主から「おいしい?」と話しかけられた。店内に客は僕ひとりだったし、なにより『徹子の部屋』でゲストが習いたてのバイオリンを披露する時間が思いのほか長くて耐えるのがしんどかったのもあると思う。初心者ないし初学者が披露するのはもちろん受け入れられるのだけれど、熟練者が披露するにしても長尺すぎたのがよくなかった。こういう「言い出せない雰囲気」って伝わりますよね。

キンパもそうだしこのスープもおいしいですと答えると、店主はリモコンでテレビの音量を小さくしながらうれしそうにテールスープについて語りはじめた。かつて定食にはみそ汁をつけていたのだが、あるときサービスとしてテールスープを提供したところ常連から絶賛されたらしい。以来、お客さんに喜んでもらうためにテールスープを出すようになったのだとか。自家製キムチよりも仕込むのに時間がかかるらしいが、食べてもらう人に喜んでもらうことを思えば大したことないとのこと。かっこいい。

店主は「信頼」という言葉を入念に使っていた。すべてはお客さんとの信頼関係であるという。キンパもキムチもテールスープも信頼のかたちのひとつ。信頼やねと思いながらキンパをパクパク食べた。たとえばどのような信念をもって働いているかというような人生の話について、初対面の人にスッとできるのはかなりかっこいいとも感じた。

友と共にのキンバップ定食

よりどころを見きわめる

2024 年のテーマを「ステージを見きわめる」にする。ここでいう「ステージ」とは状況や環境、あるいは構造のことを指しています。キャッチーに言いかえようとしました。あと、おれはいつだってステージの上で輝いていたいので。そういうことにする。

この「ステージを見きわめる」というテーマは、自分の立っているステージを自覚する・自分の立つべきステージを意図する・他者の立っているステージを推しはかるという三つのサブテーマから構成されている。つまり、おれはどこにいるのか・おれはどこにいたいのか・あなたはどこにいるのか、ということです。

2023 年は、他者とのやりとりによって自分あるいは他者が変化していくことに目を向けて、その楽しさやおもしろさに注目していた。自分の意図的な振る舞いが他者に影響を及ぼすこと(もちろんその逆もある)、自分の主体性をあらためて捉え直そうとしていた。そのうえで、その変化していく過程をおもしろがっていた。こうしてみようと思ってやってみたことが実現するとおもしろい理由のひとつのは、自分の主体性を実感できるからだと思う。

ところが、自分が想定しているよりもそのちからって大きい。自分や他者の変化に対して享楽的な態度ばかりとっていると、自分あるいは他者の過剰な(だれかを不当に傷つけるような)支配力や統制力に気がつくことができなくなる可能性だってじゅうぶんにありえる。普段の自分による行為や意思表明、習慣となっている振る舞いなどを含む実践には、少なからず責任がともなっていることに自覚していきたい。自分がどこに立っているのかについて常に考えていきたい。

このように自分の主体性に対して内省的かつ批判的であろうとしたい一方で、それは自分の置かれたステージに依存しているケースもしばしばありえる。「そうしてしまっている」「そうさせられている」ということ。大学ないし大学院という教育機関にいるだけでもそれは実感できるし、これから就職活動をすることを考えると、自分がどこにいたいのかについても念頭に置いておきたい。自分がどうなりたいのか、あるいは、自分がどうなりさせられたいのか(?)ということです。そうした環境ってある程度は選択できると思うので、強く意図して組み込まれていきたい。

あるいは、他者がどのような状況にいるのか、どのような環境におかれてきたのかについて推しはかりつづけることも、同時に気をつけていたい。そもそも、自分のいるステージやいるべきステージについて考えるには、他者がどのような状況に置かれているのかについて検討しなければならない。おれはあまり自分のことを信頼していなくて、社会的な関係の中に置かれてはじめて自分が誰なのか分かってくる。それだけじゃなくて、他者とまっとうなコミュニケーションをとるためにはそうした訓練は欠かせないと思う。これは要するにあなたとなかよくなりたいということです。自分の推しはかるちからを過信するのは危険だけれど、だからといってそれを諦めてしまうのはコミュニケーションの放棄だと思う。

シニカルな態度をやめてまっとうに人生をやっていきたいという気持ちしかない。すべての行為が自分のためになってしまったとしたらしんどくなると思う。社会を構成するひとりであること、その社会に貢献しようとする気持ちを忘れないでいたい。友だちは普段から「世の中をちょっとでもマシにしたい」と言っているがまじでその通り。それでいうとおれたちは生まれたときから社会人なんだし。諦めたり堕落したりする態度をとるのがオトナであるという発想にまじで反対するし、おれはまっとうにコミュニケーションをとって、まっとうに生きていきたい。

追記(2024年1月26日)

本エントリを書いてからずっと「ステージ」という言葉にしっくりきていなかったので、「よりどころ」という言葉に言い換えることにしました。置かれた状況・環境あるいは立場という意味で「ステージ」という言葉を用いたのだけれど、自分が意図していたよりもこの言葉は一時的な状況を説明するような言葉で(たとえば、ステージは登ったり降りたりするのをくり返すもの)、排他的な側面があるような気がして(たとえば、「あの人とはステージが違う」とか)、ずいぶん速記法的な説明になってしまったと反省しています。

いくつか考えた結果、いまいちばん腹に落ちたのは「よりどころ」という言葉だったので、タイトルのみ差し替えた。昨年のテーマは代替不可能な「魂」だったけれど、「よりどころ」はそれに比べるとスイッチしやすそうな印象で、「ステージ」と比べるとやさしそうな言い回しだと思う。どこに頼っているのか、どこに依拠しているのか、準拠しているのはどこだろうか。

したがって、2024年のテーマは「よりどころを見きわめる」にする。具体的には、自分のよりどころに自覚的になること、目標となるよりどころを意図すること、他者のよりどころを推しはかるというサブテーマから構成されています。