普通自動車第一種免許(AT限定)取得記外伝

これまでのあらすじ

京都府自動車運転免許試験場

夏休みを利用して地元の自動車学校へ通った。担当教官に無理を言ってスケジュールを組んでもらい、後期の講義開始の1日前になんとか卒業することができた。後期が終わって数日が経った本日、ようやく本免学科試験を受験して運転免許を取得することができた。

最後にハンドルを握ったのが100日以上も前なのに公道で自動車を運転できてしまう人が生まれてしまったということ。

ふじや食堂で野菜の天ぷら定食を食べる

当初の予定では免許証を受け取ってからバスなどの公共交通機関を乗り継いで帰るはずだったのだけれど、バス停に並ぶ合格者を横目に交付されたばかりの免許を用いて颯爽と軽自動車を運転して帰っていった女性を見て(助手席に男性が座っていたので彼に会場まで車を運んできてもらったのだろう)、なんだか歩きたくなってしまった。最寄り駅である長岡京駅まで歩くことにした。ついでに映画を観ることにした。

朝食にトーストを食べたきり何も食べていない割にはお腹は空いていなかったのだけれど、道中見つけたこの「ふじや食堂」に目が釘付けになり、入店してしまった。入店するしかなかった。


いわゆる大衆食堂という見た目なうえ、提供される料理やチープな内装、従業員の方の人懐っこさに至るまで僕が知っているどんな飲食店よりも大衆食堂だった。小指で引っ掛けても容易に開いてしまうアルミサッシの引き戸に対面して嬉しさがこみあげた。

僕以外に2人しか客のいない広い店内はがらんとしていたが寂しげではなく(大きな窓のおかげで明るかったからかも)、隅に設置された小さなテレビ(店内が広いせいで相対的に小さく感じられたのかも)では冬季オリンピックの中継が放送されていた。オリンピックとは毎年開催される国際的な行事のことです。


ご飯と豚汁、野菜の天ぷらを注文した。あいにく野菜の天ぷらはすでに調理されていたので冷たくてしなしなでくたびれていたが、ご飯と豚汁は保温機能を搭載した容器で保存されていたようで温かかった。無事に免許を取得できた安堵感と食堂の雰囲気の良さが、べちゃべちゃした天ぷらでさえも美味しく感じさせた。久しぶりにれんこんの天ぷらを食べることができて嬉しかったし、なにより豚汁が温かいだけでもう100点満点だった。

無料で提供されたたくあんだけおかしかった。瑞々しさのないぐにゃりとした食感で、そのうえ不気味な味が口に留まり続けた。なんなんだあれは。もう二度と食べたくない。

また行きたい。


神足駅(長岡京駅)へ向かう

ふじや食堂で、京都みなみ会館で『偶然と想像』を観るというプランを確立させたのでその通りになるように行動した。まずは長岡京駅まで向かった。


普通自動車第一種免許ハイになっていたので、この橋をどうやって運転するべきか、特に対向車が来たらどう対応すれば良いのか考えながら見たり写真を撮ったりしていたけれど、実際こんな道を走ることはないと思う。怖いので。

更新されていた「ありっちゃありスパーク・マシュ」の第29回を聴きながら散歩していた。前半は先日催されたイベントの話をしていてついていけなかったが、後半から徐々に自意識の話題になっていたので楽しく聴くことができた。ちょうど免許交付までの待機時間にウェルベックの『プラットフォーム』を読んでいて、そこでも自意識について言及されていた。


適当に歩いていたら迷ってしまったので、通りがかった施設の警備員のおじちゃんに長岡京駅までの道を尋ねた。かつて長岡京駅は「神足駅(こうたりえき)」と呼ばれていたらしい。おじちゃんは丁寧に対応してくれたばかりでなく、陽気な笑い方をしていたので元気をもらった。


橙のラインが走るかっこいい橋を撮影したのち、大股で渡った。

このあいだ、同じ大学へ進学した高校の同級生に1年ぶりに会って話をした。友だちができていないこととそれに伴う出不精、具体的には大阪や奈良へ遊びに行ったことがないことを彼に笑われた。ようやく京都市外を訪れることができたので少し成長できたと思うし、さらに笑ってもらえると思う。


神足駅改め長岡京駅に到着。このくらいのタイミングで聴いていたラジオが終わったので、更新されていた「ジョン・ポリス・パトカーズ・クラブ」の第31回を聴き始めた。


京都みなみ会館で『偶然と想像』を観る

運転免許取得になぞらえて『ドライブ・マイ・カー』を観たかったんだけど、ちょうどよいタイミングで上映している映画館が見当たらなかったので、同監督の作品である『偶然と想像』を観ることにした。京都みなみ会館へは一度恋人と『mid90s』を観に来たことがある。

本作は3つの短編映画で構成されるもので、特に第3話「もう一度」が好きだった。あやの優しくて力強い言葉とそんな彼女に対して夏子が真っすぐに見つめる描写が良かった。これは3作に共通して言えるんだけど、ひとつひとつの台詞が自然じゃなくて台詞的に感じられてそれが作品全体に不思議なムードを漂わせていた。第1話「魔法(よりももっと不確か)で両手で顔を覆う芽衣子にぐわんとズームアップするところで心を掴まれた。不自然で大袈裟な動きが全体のリズムをとっていた。同じ手法が第3話に用いられていたような気がするけれど忘れちゃったな。あとモデルの芽衣子扮する古川琴音さんの声、好きです。ありがとうございます。


改めて取り上げることでもないけれど、映画にせよアニメにせよ登場人物たちがマスクなしで生活を送っていることに引っかかりというか、フィクションとしてのくっきりとした線引きを感じてしまう。現状を反映させてマスクをつけてくれというわけではなく。どうしても(あたりまえだけれど)違和感を抱いてしまう。2020年以降、マスクを着用していない世界を目にすると居心地が悪くなるようになってしまった。


帰宅するとガスが止まっていた。コンロに目をやると、ツマミが傾いていたので、火を止め忘れて家を出たということになる。大事にならなくて本当に良かった。自動車免許を取得する前に、やるべきこと(火の元への注意を怠らないこと)がある。