栗赤飯を買えばカステラをひと切れもらえる

秋学期の講義が始まって1週間経った。大学の授業はおもしろい。このセメスターで登録した科目は、商学部の講義が1つ、社会学部の講義が3つ、文学部の講義が1つ、あとはゼミ。2年生までの講義はほとんど単位取得しやすいオンラインで実施されたので、あらかた必要な単位は取得していて、いまは履修したい講義を好き勝手選んでる。そのせいで、3年生後期にもかかわらず週4で大学へ通うことになった。どれも楽しい講義なのでオッケーという感じ。むしろこれまで多くて週3だったので嬉しささえある。キャンパスライフって感じがする。ちょっと違うかも。手放しに喜んでいるのは今のうちで、まだイントロダクションというかガイダンスしか受講していないので、11月頃にひいひい言っているかもしれませんね。

金曜日は1限に社会学部の好きな先生の講義があって、今日も30分前には席についていた。早く着いたところで授業の開始が前倒しになるわけではないんですけどね。朝早いと気持ちがいいとかそういう話をしています。社会学やメディア史を専門とする好きな先生の講義は、2年生の秋学期からひとつずつ履修している。最初に受講した講義で、メディアやコミュニケーションを理解する理論的枠組みについて知って「おもしれー」と驚いて以降、先生の話を聴くのが毎週の楽しみになっている。講義が終わってから先生のところへ駆け寄って、内容について質問したり、メディアにまつわるあるいはまつわらないことをわはは雑談したりしている。もし社会学部に籍を置いていたら必ず先生のゼミに入っていただろうけれど、あいにく商学部に所属しているので、しぶしぶ組織論とか戦略論とかそういったことをしている。ゼミで取り組んでいることも、会計学や経済学よりは社会学寄りなのでおもしろくはある。好きな先生は夏休みにテラスハウスを1.5倍速で一気見したらしい。絶賛してた。

アルバイトの前に近所を散歩していた。このあいだも訪れた青果店で、200円の幸水梨と500円の少し傷んだピオーネを買った。これを書いている今、その果実たちは僕の冷蔵庫の中にあって、それは明日必ず幸せになれることを示しています。さっき巨峰を数粒つまみ食いしました。あと、和菓子屋さんでお昼に食べるために、栗入りのお赤飯を買ったら、おまけでカステラをひと切れもらった。嬉しすぎ。

真造圭伍『ひらやすみ』4集が発売されたので、kindleで買って読んでいた。元同僚に薦められた朝井リョウのエッセイをメルカリで買った。今学期は教科書の購入の必要な講義がなかったので、本来教科書代に充てるはずの売上金を使った。まだ5000円ほど残っているので、読みたい本を買うときに使おう。書店へ足を運ぶと欲しい本が増えてしまって、結果的に家計を圧迫してしまうので、本屋へ寄らないようにしている。これはライフハックです。

社会学者・長﨑励朗が大学の講義動画をアプロードしている「アーカイブ社会学概論」という YouTube チャンネルがあってその動画をだらだら観ていた。デュルケムの『自殺論』とウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の概要をざっくり説明する動画*1と、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』のエッセンスを紹介する動画*2。易しい言葉で解説しているので聞きやすい。この方はボードリヤールの妙に文学チックな語り口が気に食わないらしい。あとこれは全然関係ないんですけど、昨日『リコリス・リコイル』観終わりました。

特に目的意識もなく漠然と勉強したいっすねという気持ちがあって、正しいアプローチかどうか分からないけれど、気になった本を読んでみたり、講義に受けたりしている。たぶんこれは、商業高校出身だから同じ大学の学生よりも遅れをとっているという感覚があるから。こんなくだらない劣等感は一刻も早く捨て去るべきな一方で、それが駆動して本読むぞ~という気持ちになっているのでいいかもとも思ったりする。本は読むに越したことはないので。ゼミの人の発言にゲンナリしたり、失態をおかしてへこんだりしながらも、梨を喰らい、本を読み、巨峰をつまみ、好きな先生の授業を受けている。それなりいい感じと捉えながらやっていっている。