無痛の冬

ここ最近の朝ご飯は、コップ1杯の牛乳と個包装のアロエヨーグルトそれとトーストで、スライスチーズをのせて焼いた食パンの上にスクランブルエッグを載せてケチャップをかける日と、スライスしたトマトにオリーブオイルをかけてスライスチーズをのせる日がある。昨日はトマトの上にチーズのせてさらにスクランブルエッグをのせました。今朝はベーコンに千切りキャベツ、チーズをのせました。そういう日もある。お酒飲んだりタバコ吸ったりしている人を見ると財布に余裕があるなと思っていたが、実際俺は朝ご飯にお金をかけているからそういうわけではないのだと思う。あと毎朝マルチビタミンサプリを飲んでいます。これは飲む動作に安心を見出している。

いわゆる「空きコマ」というものを初めて体験した。これまでオンライン授業だったことや、それを避けて履修登録していたこともあって、空き時間をキャンパスで過ごすことをしてこなかった。今学期は週4でキャンパスへ行くことになっていて、木曜日の4限に空きコマがある。3限の講義はランダムに振り分けられたグループとディスカッションをするというもので、見ず知らずの学生と話す機会などこれまでなかったので楽しみにしている。今日のグループは、同学年の女性とひと学年下の女性と僕の3人だった。ふたりともディスカッションに前向きではなく、最低ラインまで討論できたらもう十分ででしょうという雰囲気だったので、こちらからある程度意見を述べて、残りは流しで過ごした。一方的にまくし立てて、ひとりで活発なディスカッションを目指すのもなんか違う。とはいえ、せっかくのディスカッションなのに残念だった。僕がしゃべり過ぎてしまった可能性もあるので、もっと様子見しながらディスカッションに参加したほうがいいかも。5限の授業で使う教室が空いていたのでそこで本を読んで過ごしていた。空きコマは特にすることはない。

再三「友だちがほしい」と主張してきたが、仮に友だちができたとしてどうしたいのかと問われると答えにつまる。フィクションやソーシャルメディアで目にする関係性にただ憧れていてそれを消費したいと思っているだけで、周期的に到来するさびしさを対処するためだけに友だちがほしいと無邪気に考えていた気がしてきた。それはセルフケアで扱うべきケアの役割を他人に押し付けようとする仕草だったのかもしれない。それはそれとして、いつか友だちができたら嬉しい。空いている日に時間をとって話をしたりしたい。

まだ短パンで過ごせた。18時過ぎに講義を終えて外に出たらヒヤッとする寒さだった。やさしく撫でるような寒さ。頭がきりっとクールになる。自転車を漕ぎ出したら、無痛の冬があった。ペダルを踏む脚が止まらなった。同じ学校帰りの学生を追い越す。息が上がる。太ももがはちきれそうになる。いくら重く漕いでも汗が出てくることはなくて、身体の芯がじんわり温かくなるだけ。風が冷たい。喉の奥がカァーッと熱くなる。もっと自転車に乗りたいと思いながら下宿先に着いた。気持ちよかった。

ポストにマーク・フィッシャーの『ポスト資本主義の欲望』とモナ・アワドの『ファットガールをめぐる13の物語』があった。メルカリで買ったやつ。

浴槽の角にすねを打ちつけて、大きなたんこぶができた。いまもぬるくなった保冷剤で冷やし続けている。これは添える動作に安心を見出している。