視界の沈黙に踊って抗う

ちょうど今朝から早起きを心掛けている。正確には昨晩から。早起きでおなじみの少年として思春期を過ごしてきたはずが、大学2年生の秋ごろにホームセンターの早朝アルバイトを辞めたのをきっかけに、早起きとは縁のない起床をするようになった。朝に強いということは生活に強いということなので、空いた早朝ポストへ滑り込もうと思っています。早朝青年として返り咲きたい。今朝は6時44分に起きていた。とりあえず6時起きを目安に起き活をしていきます。今朝は文学部のレポート課題に取り組んだ。ブログを書いている余裕はなく、早急にレポートに取り組んだ方がいい。

昼過ぎから日が暮れるまでゼミのグループのみんなと研究をすすめていた。グループワークに私情を挟み込み過ぎると進捗に支障が出ると思って、班のみんなとプライベートについて会話することを避けていたのだけれど、そろそろ個人的なことを話すことで研究や作業が円滑に進むタームに入ってきているような気がする。とはいえ自分が自己開示をすることで、他のみんなへプレッシャーを与えてしまったら本末転倒かも。前期に、自分が他のみんなよりも負荷の大きい作業をしていたことで、グループの中で力関係が生まれてしまった感覚があって、そういうのは避けたい。せっかくグループで研究をしようとしているのに、声のでかい僕だけが舵をとることになったらなにも面白くない。

昨日も午後から他のゼミとの報告会があった。解散後、出席していたグループの人や同じゼミの別のグループの人たちと、研究について話していたら、グループの人に、あなたはつまらなくなると急に踊り出すと指摘された。その通りで、腰を左右にゆらゆら動かしていた。立ちっぱなしで話していると視界が沈黙するので、身体を動かすことでその場に視覚的な音を与えたくなる。踊りのレパートリーとしては、夢屋まさるの「パンケーキ食べたい」や工藤静香 「嵐の素顔」、さよなら、また今度ね「夕方とカミナリ」やNo Buses「Pretty Old Man」など。他にも俺オリジナルの動きがいくつかあります。

Twitterでの振る舞いの中で空リプだけはほんとうにありえないと思っていて、他のどんなリプライよりも邪悪なものとして位置づけている。Instagramの親しい友達機能で週末の遊び相手を募る仕草はなんかかわいいので好きです。

この数日間はオートリピートで『The Car』を聴き続けている。このアルバムのジャケットが、自分の知っている写真の中で最もかっこいいと感じて、あの写真を撮ることができるのなら、写真家になりたいとすら考えるほど。写真家のことナメすぎかも。それくらいかっこいいと思ったという比喩表現です。あと途中で演歌みたいな音挟まりませんか。あれ好きです。

昨日のゼミで先生と話していたら、同じゼミのカメラサークル所属の人にその様子を盗撮されていた。その写真を今朝もらった。俺の首筋は曲がり過ぎている。その報告会が終わってから、他の大学のゼミの人にInstagramのアカウントの交換を迫られた。俺の声のでかさに感動したらしい。ちょうどさっきもInstagramのアカウントを交換する機会があった。Instagramでのコミュニケーションにはすごいところがたくさんあるのであなたとわたしで考えていきましょう。