光をいれる

出かけるまで時間に余裕がなかったのに、いつもはトーストとコーヒーで済ませている朝食を、たまごかけご飯と豚汁にすべく奮闘した。一昨日作った豚汁がわずかに残っていたので、里芋を煮て味噌を溶かしてそこに豚汁を加えて増量した。ボリュームが増すし、他の野菜は味が染みていておいしい。身支度を済ませて、洗濯物をすべて干し切って、家を飛び出した。京都に来ていちばん速い自転車に乗って、新風館へ向かった。


アップリンク京都で、稲垣吾郎演じる市川が浮気をされる映画『窓辺にて』を観た。光の使われ方が印象的な映画だった。あと、浮気と不倫をしているやつらがうじゃうじゃ出てくるほんとうにどうしようもない物語だった。俺は貞操観念があまりにも高すぎて、浮気とか不倫とかの描写を一切楽しめない。浮気をしている人を、人生において、明らかに・取り返しが・つかない人としか見られなくなってしまう。各人いろんな恋愛のやり方があると分かっているが、浮気をする人間は、俺の持ち合わせているどのものさしで測っても、完全に無意味・無価値で終わってるなと思ってしまう。そういった恋愛模様を「大人の恋愛」みたいなパケージするのもおかしすぎる。もっとまじめに人間関係やれよ。いつか観た『愛なのに』も同様の理由で完全に終わっていた。その一方で『ドライブ・マイ・カー』はめちゃくちゃ好きだったので、自分のことが本当にわからない。

いわゆる not for me な作品だったんだけど、ある程度積極的にそういった作品にも触れることで、自分の嫌いなものについての輪郭をはっきりさせる作業を厭わない態度もあったほうがいい。『窓辺にて』もトレーラーを見たとき、観たら嫌な気持ちになるだろうなと思って、案の定嫌な気持ちになった。愚かすぎる。ゴシップに唾を吐くだけのおじさんに着地したらどうしよう。バイク整備士の水木優二という青年が、カラッとした性格でほんとうに素晴らしくて、僕はこいつになりたいと思った。市川はことあるごとに「○○はどうしたいの?」と相手の意思を尋ねる仕草をしていて、こうした人との距離感の測り方もあると思いつつ、自分の主体性についてはおろそかにしていて、そうなりたくないロールモデルがひとつ増えた。「書くと過去になる」という言葉が印象的だったし、なんとなく分かるような気もしたけれど、これは俺が分かる気になっているだけだと思う。なんだかんだ楽しく映画を観られてよかった。


JOHN SMEDLEY 京都店で開催されていた「うつわ祥見 KAMAKURA セレクト展」を訪れた。昨日の朝、知り合いのブロガーの方がこのポップアップを教えてくださり、ほくほくとしながら予定を入れたのでした。新風館へ映画以外の目的で来るのはこれが初めてだったかも。ディスプレイされる素敵なうつわを1時間弱眺め続けて、美しく光を取り込む〈巳亦敬一〉のガラスのボウルと、中央に琥珀のような輝きのある〈鶴見宗次〉の手びねりの白皿を買うことにした。間違いなく、俺の食卓がより一層素晴らしいものになるでしょう。

〈巳亦敬一〉「新スキ花ボール」と「オイコス マダガスカルバニラ」
〈鶴見宗次〉「白 6寸皿」とブリの照り焼き


船岡山公園で夕景を眺めながら時間を過ごした。じっくり夕焼けを望んだ。日が沈むときに音がしないのはおもしろい。このごろ週末にお金を使いすぎている。映画を観ると映画のような生活に憧れるけれどそんなものはなくてまじでこなしていくしかない。光をいれるためにお金をじゃぶじゃぶ使っている。おい。正気に戻って腹に力を込めてこなしていきたい。