いつかオーロラを見に行く

週末に近鉄奈良駅へ向かう電車の中で友だちに紹介してもらったウェブブラウザは、先週第6セメスター最後の講義で先生から教えてもらったのと同じものだった。インストールしたてのそのブラウザで Twitter のタイムラインを眺めたり、YouTube の動画を見たりしていた。Android 端末から Twitter アプリと YouTube アプリを削除した。そのうち iPhone からもアンインストールするかもしれないけど、まだその予定はない。湯船に浸かりながら漫才とコントをひとつずつ見た。おもしろくて笑えるからお笑い。オーディエンスは笑うべき対象とか行為とか状況を共有していて、そこへ誘導されている。たまにそれが不健全に感じるときがある。

わたしたちの未来は明るく希望に満ちているという感覚って一切なくて、どうしようもない閉塞した社会だけど自分にできることをとりあえずなんとかやって最悪の状況は避けようねって感じで、なんとかやるしかない。じゃあ、もしなんとかできたとして、大量生産と大量消費のサイクルに身を投じるしかなかったとしたらわたしたちは? すでにそう。部分的にそう。

ただひとつ実感をともなって築き上げていけるものは、わたしとあなたとの二者関係だけ。真面目な対話。誠実な応答。いつかあなたとオーロラを見に行くことを目印にしている。あなたは準備できてるの?

明らかに超自然的な力の存在や呪術的な思考を信じたうえで成り立つ生活を繰り広げているのに、それを見ないふりしてやってますよという顔つきをするのはもういや。みんなそうじゃないすか?

The Tubs の新しいアルバムとかを聴きながら、レポート課題を進めている。あとひとつの課題を解決したら、今期を終えることができる。はよ閉じたい←閉じれば。

「これはポエムなのですが」を前置きしておきながら一切ポエムを書かず、ただ個人的な所感や自分の気持ちについて書いているのを見つけたとき、ポエムへの軽視と自分のことについて書くことの恥ずかしさや後ろめたさが浮かび上がってくる。それとも普段書いてる実務的な記事と見間違われないようにするため? でもそれって少なくともポエムじゃない。僕も似たような照れ隠しをいくつかしていて、そうしたくないという気持ちがある。なんでだ。

早寝早起きをしたい、知っているお店が多い人じゃなくて自分で作って食べた飯の多い人になりたい、愛嬌と気高さを兼ね備えていたい、人をばかにするのはほどほどにしたい、身体というか肉体をよりよくしたい、買ったばかりの歌舞伎揚げを食べ過ぎるのやめたい、歌舞伎揚げ久しぶりに買ったけどめっちゃおいしかった亀田製菓の揚一番個包装のやつ、揚一番ってちょっと無理して一口で食べるのがいい、あたたかくなったら歌舞伎揚げを食べ比べする会開きましょう、あとオーロラ見に行く。