かんそうを待っている

布団の中でぐずぐずしていてもどうにもならないので、今日やることを書き出してTwitterに投稿することで、一日を始めることにした。タスクを立ち上げることでおれはがんばることができる。ちょうどそのころ彼女から自撮りが送られてきた。今週末は家族旅行をするらしくて、いくぜ!って顔の写真。かわいいね。牡蠣とか食べるらしい。いいね。さらにがんばることができそう。

このあいだのたき火で臭くなったジーンズを洗うことにした。このプチスタンダードはちょうど今日で穿きはじめてから37ヵ月になる。毎月TimeTreeが通知をしてくれる。洗濯機を回して、ジーンズを浴槽につけ置きしている間に、ドラックストアでシャンプーと浴槽用洗剤を買って、クリーニングに出していたスーツを回収してきた。幽体コミュニケーションズの「季節を巡礼して生きている 季語に縁取られた体で立っている」に「君の喘息は少し良くなった」という詞がある。この作品を何度か聴いていて、そのなかで最も印象的だ。僕の喘息はだいぶよくなった。

3週間以上も布団カバーやシーツを洗っていなかったので、洗ってコインランドリーで乾燥させた。ジーンズは高温で、寝具は低温でそれぞれ乾かした。僕も入口付近の椅子に座って、ガラスをはさんで射してくる日光で乾かされて・あたたまっていた。本を読みながら乾燥を待った。赤松啓介の『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』。戦前の日本社会における性生活について記述されている。なんかみんなずっとセックスしている。OK。

かんそうを待つ、でいうと、このあいだ乳化さんに誘われて「sore冬」というネットプリントに寄稿しました*1! まだプリントしていない人はしてね。感想待っています!

アルバイト先の同僚や上司と、最小でひと回りくらい年が離れているので、たまに「ジェネレーション・ギャップを感じるね」と言われることがある。たしかに知っている人とか作品とかが違っているので、ジェネレーションの差によるものかもしれないけれど、高校の同級生とかゼミの同期と話しているときにも似たようなギャップを感じている。むしろそっちのがでかいし。みんなテレビとか見なくなって、各自インターネットで好きなものを見たり聞いたりしているので、趣味の話が重なることがめったにないのだと思う。そういった意味では「ジェネレーション・ギャップ」って感覚そのものが、テレビのような強力なマスメディアの賜物なのかも。戦前の日本の農村ではジェネレーション・ギャップってあったかな。ありそうな気がしてきた。普通にあるかも。

乾いたジーンズと寝具を抱えて、坂田焼菓子店で昼食を買うことにした。長いこと待って、キャロット・ケーキをひとつ手に入れた。これから食べるぞ~!