ねらいを定める

本文の最後まで目で追わないと読了にならない呪縛に囚われ続けている。『読んでいない本について堂々と語る方法』とか『本は読めないものだから心配するな』とかで散々勇気づけられたはずなのに、切り上げるのに躊躇してしまう。朝食をとって、ゴミ出しをして、赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』を読み切ったんだけど、本書の読書体験もそのケースのひとつだった。先に収録されていた『夜這いの民俗学』は新鮮な語りで集中して読めたけれど、残りは消化試合というか、とりあえず文字を目で追っただけ。流しでやるのってあんまりよくないもんな。Bチームの試合に突然駆り出されたときのパフォーマンスがよかったためしがない。

醤油味のマルちゃん正麺にトマトソースとオリーブオイルをのせたものを昼食とした。刻んだ玉ねぎのサクサクとした食感がよかった。食べながら、昨日聴いたJPPC第76回で紹介されていた『ヴァスト・オブ・ナイト』を観はじめた。1950年代のアメリカを舞台に登場するみんなが早口でまくしたてるSF作品。ちょっとだけバスケットボールの場面があるんだけど、当時のプレイスタイルをしていて細やかなこだわりを感じた。あと、電話交換手のフェイがかけてる眼鏡かっこよすぎる。電話といえば、メディア史の期末レポートを書くために手に入れた水越伸『メディアの生成 アメリカ・ラジオの動態史』を読めていないと思って、読みはじめる。コミュニケーション・テクノロジーはメディアを成立させるひとつの要因でしかなく、メディアはさまざまな社会的要因が絡み合って規定されていくものだという。技術決定論に立ち向かっていてかっこいい! 最近文庫化されたらしいですね。ちくま学芸文庫。あっちのが表紙かっこいい。

スナック菓子を食べたい気持ちを抑えられずコンビニへ向かった。おれの節約術として、ドラックストアではカゴを持たずに必要なものだけを買うというものと、コンビニではひとつの商品しか買わないというものがある。ポテトチップスを買いにセブンイレブンにやってきた! ぐるりを店内を一周して、チョコモナカジャンボを購入して退店。消費行動ってまじで意味がわからなすぎる。棚には数え切れないほどのポテトチップスやその他スナック菓子があったのに、私の欲しいものはそこにはひとつもなかったし、結局当初の計画とは異なるチョコモナカジャンボを買うなんて。チョコモナカジャンボに、スナック菓子を買いに来店したが突然気が変わる20代男性っていうペルソナって想定されていますか? こうしたことが度々あるので、マーケティングとかまじで実際のところどうなんですかねという気持ちがある。ターゲットを鮮明にすることは、消費者を定めるのではなくて、製品のコンセプトを明確にすることができるんだと思う。すでに議論されていそうだ。

チョコモナカジャンボをかじりながら『メディアの生成』を少し読み進めて、来週の読書会の課題書を読み進めた。普段の読書とは異なりその本について話す相手がいるので、読み方が大きく変わってくる。誰かを念頭に置く読書ってしたことがなかったから新鮮な体験だ。これもターゲットが定められているので、視界がよりクリアになり、ある程度は何をどう読めばいいのか、明確になってくる。これを普段の読書にも応用しようとすると、誰でもいいからその本に関心のありそうなひとにねらいを定めることで、理解が深まったり、思いがけないポイントをつかめたりするかもしれない。

夕飯は、昼食後に作っておいたさつまいもと大根と人参の豚汁(砂糖がはいっていてコクがある)と、焼きさば(脂がのっている)、そして前から食べたかった塩むすび。「I Ain't Quite Where I Think I Am」の音に合わせて握った。少し塩が足りなかった。が、おにぎりをほおばって豚汁をすすり、おにぎりをほおばってさばを口に入れる繰り返しが、塩っ気の足りなさを補ってくれた。むしろよかった。またやりたい。どかどか食べながら、『映画大好きポンポさん』を観はじめた。この作品でも、一般ウケを狙うのではなく、ある特定の人物に向けて作品をつくることに言及されていた。そうすることで、作品のおもしろい部分がより強調される。ぼやかさずにピントを合わせる。思い切って、こちらから合わせに行く。