また履中したい

アルバイト先の同僚とうりうり話しながら作業していたら、講義開始30分前になっていたのに気づいて急いでカードを切った。炊き立てのご飯を4等分してラップに包んで冷凍庫に詰め込んで家を出た。いつからか半袖Tシャツの裾をジーンズにしまい込まないとそわそわするようになった。発表担当だった授業でよく立ち、よく喋り、その次の講義の担当者に履中することにしましたって声かけてから帰った。初めて履中したんだけど気分がよくなって帰り道にコンビニでサーターアンダギーと桃味の爽買った。履中って気持ちよすぎる。またしたい。

年下の人とよく話した経験がほとんどない。自分より若い人と関わるタイミングって高校の部活が最も近い記憶だと思うけど、そのときもけっして面倒見のいい先輩ではなかったし、慕われていなかった。組織行動論で、能力がある程度行き詰まると後輩の育成に焦点が当てられて、それが当人のモチベーションにもなるという話があっておもしろかった。これまでずっと自分のできることにしか目を向けていなくて、ケアをした後輩がいかに成長していくかというところを見逃していた。そうなると組織内で割り当てられた上司ってけっこう大事そう。合う・合わないの要素がでかそう。いずれにせよ当分のうちは引き続き自分のできることについてよく考えることになると思う。

自分の欲しいと思ったものを買って、満足感を覚えたり、嬉しくなったりする気持ちをどのくらい悲観視すれば・疑っていけばいいのかちょっとわからない。何かを買うことで、楽しい気持ちになったり、安らかな思いをしたり、まるで自分の存在そのものを肯定されたかのような気分になることがあって、こうした消費体験は大学に入学したばかりのころと比べると激減したけれど、あるのは事実だし、でもやっぱりそれから脱出したいってずっと思っている。際限がないから辛いし、自分が購入したモノに収斂していくのが悲しいから。欲しいものなんてなくて、ある構造下で欲しいと思わされているだけって感じ方が強くなってきたのもある。でもその構造ってずっとありそう。他の人が大量生産・大量消費のサイクルの中に置かれることの、漠然とした怖さとどう立ち向かっているのか知りたい。あるいはどう立ち向かっていかないか。

今晩はチキンカレーを作って食べた。ホール缶をひとつ入れたらトマトトマトしたカレーになってそれはそれでよかった。ホールトマトを左手の腹にぐにににと押しつぶしていくのが気持ちいい。壁にトマトの汁が飛んで、ティッシュで拭き取った。風呂上がりにアイスを食べようと冷凍庫から出したけど、けっこう腹が膨れていたので冷凍庫に片づけた。