無責任につながれない

Twitterのタイムラインを眺める時間がめっきり減っている。『Social Media is broken. Can we fix it?』というドキュメンタリーを観たことがきっかけとなってログインすることが少なくなっているのだけれど、本作の「ソーシャル・メディアはもはやわたしたちに価値を与えるものではなく、営利企業が金儲けするためのビジネスの道具に過ぎないのだ」というような主張に感銘を受けたというよりは、この動画を閲覧したこととそれをシェアしたことがたまたまログアウトのきっかけになっただけだと感じている。このトリガーはなんでもよかったし、いずれなにかがきっかけになっていたんだと思う。

たとえば、Twitterのアカウントをフォローする/される関係になることを「つながる」と表現することがある。このときの「つながる」って、思い立ったときに連絡ができる状態になることというよりは、こちらから連絡をしなくても相手の近況について知っている状態になることを指し示していると思う。僕がじっくり使ったことのあるソーシャル・メディアは、TwitterとInstagramだけど、そのどちらも「つながる」ってそういう感覚があった。相手の近況についてなんとなく知っていて、おそらく相手も自分のことについてなんとなく知っている。

そんなふうに気軽に「つながる」ことでいったいどうなるんですかと尋ねられたとしたら、どうにかなることはあったりなかったりするけどどにかく楽しいんだと答えると思う。向かい合って腹割りコミュニケーションをするぞと意気込まなくてもいいから、気負わなくていい。いい加減にやり取りができるところが楽しいところなんだと思う。ただ、あなたと膝突き合わせコミュニケーションをしたいんですよというバイブスのときにはどうも相性がよくなくて、こんな無責任につながっていいんすかという気持ちになってくる。別に無責任につながってもいいか。そういうタイミングもある。でも、膝を突き合わせたいって気持ちが急に生じるのって変だから、それはきっと無責任つながりコミュニケーションの反動として生まれたもので、そういうフェーズに入ったんだと捉えるのがいいような気がする。

この感覚って僕だけじゃないと思ってるんですけどどうですか。そういう雰囲気(特にTwitterをきちんとやめたいという感じ)をばちばちに感じているので。これまでTwitterに投稿してきたことを個人で立ち上げたdiscordのサーバーに書きこんでるけどやってもやらんでもって感じ。先日いちばん仲のよかった高校の同級生にLINEしたんですけど、返事がなくてけっこう悲しい。卒業式以来会っていないので、電話番号を変えたとかの可能性あるね。このエントリは共同研究室から書いています。クーラーが効いて涼しいからです。帰りに冷凍餃子を買って帰ろうかな。このごろ人とご飯を食べていないのでそうしたいと思ってきた。風邪ひいてたからってのもあるか。てかコビッドの可能性高すぎる。あれから嗅覚を失ってしまってこれまで嗅いでいた匂いをほとんど思い出せなくなってしまった。回復しつつあるけどね。